小学生の頃、「暗唱コンクール」というような企画が年1回催されていた。
要するにクラス対抗で代表を決め、代表児童が任意に選んだお話を暗唱してその優劣を競う、というものだが、私はこれが得意で、このコンクールの常連だった(恥ずかしいので誰もやりたがらないというのもあったが:笑)。
6年生の頃もクラス代表で出場した。
私は基本的に愉快なお話、笑い話が好きだったので、確かその際も「彦一とんち話」といったネタを選んで、首尾よく客(生徒)の笑いを取り、自分でも満足のうちにステージを降りた。
その後、最後のクラスの代表が出てきた。
その子が話し始めたのは、「かわいそうなぞう」というお話だった。
つまり俺のお笑い路線に対しその子は「感動路線」で真っ向から勝負を挑んできたというね。
当然の事審査は先生によって行われるのだけど、先生受け的にはどっちがいいかはまあ火を見るより明らかだわな(笑)。
そんなわけで、あえなく私は優勝をその子にさらわれてしまった、というわけだ。
いやそんなケチな理由(だけ)でこの話が苦手になったわけじゃないんですよ。実際その子も上手かったので、優勝したのはそういう事でもあったんでしょう。
ただね。その話を暗唱したその子のキャラクターというのがね。いわゆる「先生のお気に入り」という奴で。
もちろん、「先生のお気に入り」でも人格高潔な「出来杉くん」みたいな人もいるから、もしそういう子相手なら私も「あいつに負けたんならしゃあないよなー」と普通に思っただろうが、その子というのがどっちかというと表裏のあるタイプで、というか児童間ではあからさまに「女王様」として(女子でした)君臨して裏で頭の悪い子や金のない家の子を蔑んでるようなや~な感じの子だったわけよ。
で、そういう子が「かわいそうなぞう」を選ぶというのは何ていうか、自分が感動したお話を読みたいというよりは、完全に先生受けを狙った計算ずくの匂いしかしないわけ。それを子供心に非常に感じてですね、「坊主憎けりゃ」の論理ですっかりこの話が嫌いになってしまったわけだ(笑)。
今の私は、「かわいそうなぞう」を読んだら普通に泣くような大人になっています(笑)。
いや真面目な話、後世に残してほしい物語であると心から思っています。
ですが、「戦争の記憶をいかに語り継ぐか」という重い命題について考える時、どっかでこの時の感じた何ともいえないイヤ~な感じが引っかかってしまうのです。
当時はまあ子供なので、主に「あいつ先生のウケ狙いやがって」的な(笑)、単純な怒りの方が先に立ってたのですが、年を取るにつれて「戦争の記憶を伝える物語がそんな風に使われてしまうような構図」そのものに関する嫌悪感の方が増してきたのです。
あの時の暗唱コンクールみたいな形に陥らない形で戦争を伝えていくにはどうしたらいいんだろう。
笑われるかもしれませんが、割と真剣にそんな風に考えたりします。