SUMMER'S GONE

 いや~、拍子抜けするくらいあっさりと、夏、終わっちゃいましたね。
 雨や竜巻の被害に遭った方は本当にお気の毒でした。ですが、あんな過酷な暑さが収束した事は正直嬉しいですなあ。

 そんな夏の終わりの雨交じりの日、久し振りに友人達と会合(つうか飲み)。
 映画をよく観る方が多かった(つうか、あんまり観ないのは私1人だけ:笑)ので、話題当然最近観た映画中心になり、いつしか『風立ちぬ』についての議論になった。
 この日のメンツのうち2人(1人は私)が観ていたので当然この2人中心で話が進んだのだが、途中でそれまで合いの手しか入れてなかった方(この方は観てない)がポツリと、「要するに、観客の方で色々想像してやらんといかん映画という事ですか?」とおっしゃって、これが誠に的を得ているなあと感服。
 そうなのだ。映画の出来不出来とは別の所で、昨今の宮崎駿作品というのは一度公開が決まるや否やそのテーマだのストーリーだのキャラだのがありとあらゆる箇所で話題にされ、公開されたらされたで同業者に識者に市井のブロガーまでが、よってたかってあの場面をこう解釈するだその伏線とこの結末はどう矛盾してるだと異論妄想を書き連ね、そういう大量の外部情報がこちらの想像力にある程度の「ゲタをはかせた」後にやっと作品と対面する、という状況になってしまっている。
 もちろんそれ自体は監督の責任ではないし前回で私が書いたような事もそうした状況に(ほんのちょびっと)加担している事は重々承知しているのだが、もう我々は良くも悪くも「宮崎駿の映画を虚心に観る」という事が出来なくなっている。その事実を先の発言は見事に看破されてるなあと思った次第だ。

 と思ったらよりにもよってその翌日に宮崎駿監督の引退発表。当然の事少なからず驚いたのだが、『風立ちぬ』は非常に正直な映画にも思えたので、最後の最後に本音を曝け出して引退、と考えるとそう違和感はない。
 ただ「子供達に向けて映画を作る」事を信条にしていた男が夏休みの最後の日に引退発表というのはね。「この国に『子供達』はいなくなってしまった」とも「この国の『子供の時間』はもう終わりだ」とも取れるけど。いやこれは単なる妄想か。

 そして翌日、『あまちゃん』震災編が始まった。

 『あまちゃん』が震災を描く事を前提で作られているという事はもう何度もアナウンスされていたし、いわゆるテレビ雑誌などではある程度先行してストーリーが伝えられていたので、それほど話の展開というのには私は重きを置いていない。
 観どころは、やはり震災とその後の風景を「どう描くか」。
 その成否によって『あまちゃん』自体はもちろん、この国のエンタテインメントと呼ばれているものの真価が問われるといっても過言ではないと私は思っている。
 ハッキリ言って、こっから先の『あまちゃん』は通常のドラマ(元々ほとんどドラマは観ないのですが)を観るようなのほほんとした感じでは観れません私は。何と言うか、高校野球の応援しているような感じ(しかも、押せ押せムードで「かっ飛ばせ!」とか言ってるのじゃなくて、満塁のピンチを祈るような気持ちで見守る、みたいな)。
 と思ったら初手から素晴らしいシーンの連発で。
 大吉がトンネルで歌うゴーストバスターズも、外を見たユイの真っ白な表情も、壊れた北三陸ジオラマも、鈴鹿ひろ美のうろたえっぷりも、春子の「東北の人間が仕事しろって言ってるんです!」も、夏ばっぱの「お構いねぐ」メールも、忘れちゃいけない太巻の「お前に対する売名行為だ!」も、「震災の時人々が見た、感じたリアルを絶対に疎かにしない」「けどあくまで『朝に楽しく観れるドラマ』という線は外さない」という意志がひしひしと伝わってくる名場面、名演技、名演出の数々。
 期待を大きく上回る出来にさすがと喝采しつつ、最終回までこれがキープできるかどうかやっぱりハラハラドキドキは止まらないのである。

 そんな風にして僕たちの「夏休み」は終わった。
 「2学期」を君や僕はどう過ごすのか?