『風立ちぬ』鑑賞後の妄想炸裂架空対談

 過日、宮崎駿監督による映画『風立ちぬ』を鑑賞してまいりました。今回は感想を、架空のキャラクター、マイダス&ライナスによる対談という形式で書いてみます。
 掲載に当たって注意事項が2つ。まず、ネタバレがあります。また、映画の主人公堀越二郎についての言及がありますが、これは当然映画のキャラクターとしての堀越二郎についてであって、実在の人物である堀越二郎氏についての言及ではございませんので念のため。
 それではどうぞ。

ライナス(以下ラ)
―いやあ『風立ちぬ』、どうだったよ?俺は正直言って今回は「死に水取るつもりで」観に行ったんだけど。

マイダス(以下マ)
―不謹慎な(笑)。確かにここへ来てファンタジーじゃなくて宮崎駿の分身っぽい主人公の映画だから遺作みたいな風に取られてもしかたないけどさ。

―何か、絶賛もしたくねえけど批判すんのも違うような気がする、めんどくさい映画だったよな。

俺は色んな意味で残酷な映画だって気がした。

―まあ、結核の嫁さんにロクに構わねぇで飛行機の開発ばっかりやってるから鬼畜っち言やあ鬼畜だが。

―そこじゃなくて(笑)。つうか当時の「働く男」って大なり小なりあんなもんだったんじゃないのかな。俺はまず「天才」という構造のもたらす残酷さ、を強く感じたね。

―確かに実際の堀越二郎も天才的な技術者だったみたいだけど、飛行機作るシーンとかでは正直言ってどう天才だったのかは分からないな。

―たとえ作るディテールを詳しくやられても素人にゃ分かんないしな。どっちかと言うと、「他の人には見えてないものが見えている」「同じものを見ても普通の人とは別の捉え方をしている」という所を見せる事で堀越の天才性を表現しているよね。

―サバの味噌煮から出てきた骨のカーブ見て「美しいと思わないか?」と言わせてる所とかだろ?でもそこだけ見たら天才というよりは天然という感じもするけど。

―その辺はよくつるんでる同僚の本庄の言動と比較するとよく分かるんだよな。ほら、本庄は優秀だけど天才じゃないじゃない。常識人だし、ある種近代主義者でもある。二言目には「日本は欧米に比べて遅れてる」みたいな事を口にするんだけど、彼にとっては航空機というのは近代のテクノロジーの粋であって、それをよいものにする事は日本が近代的な発展をする、欧米に追いつき追い越す事とイコールなわけ。それって当時の日本で、ある程度インテリで野心的な人間にとって共通する想いだったと思うんだけど、堀越は飛行機と日本の近代的な発展はイコールで結びつかないというか、日本の発展云々はぶっちゃけどうでもいい(笑)。飛行機作る動機からして「美しいものが作りたい」だもん。凡百の技術者とは全く違うものを飛行機に見ているわけですよ。だから後年二人が飛行機を作るようになっても、本庄はドイツのユンカースかぶれの飛行機しか作れないのに対し、堀越は自分の美学の赴くままに作ってものすごく優秀なものを作ってしまう。普通に考えたら全く邪道な動機で作った奴がある種真っ当に飛行機を捉えてる奴に圧勝するわけですよ。これは残酷ですよ、やっぱり。

―語ったねー(笑)。でも割とそういう天才論って割とよく言われている事だし、まあ言ってみれば宮崎駿自身もそういう類の天才じゃん。そんな事を言う為にわざわざこんな映画撮ったとも思えないんだけど。

―もちろん監督本人はそういう動機では映画作ってないと思う、意識の表層ではね。「困難な時代でも力を尽くして生きた人の物語を作りたい」という動機は、建前ではないと思う。でもその動機にこだわり過ぎるのは、言ってみればポップソングを語るのに歌詞の意味だけ見て云々するのと一緒。無意味とは言わないけど、そこだけ見たって作品の本当の面白さは理解できないと思う。

―第一「力を尽くして生きた」っつわれたって、画見てるとそんな感じにはあんまり見えねぇしな(笑)。そりゃ嫁さん死んだり、作ったゼロ戦が敗けて挫折したりとかはあるんだけど、そういう所は全然ドラマチックにやってない。貧乏人の子供に堀越が菓子めぐんでやろうとするくだりがあるけど、俺なんかはあれ見てて「力尽くして生きてる奴はあいつらの方だろう!」と突っ込んじまったもん。

―確かに(笑)。ただ堀越の悪戦苦闘とか、嫁の病気とかを過度にドラマチックにしないというのは、俺はそれでよかったと思ってる。だってそれやったら「プロジェクトX」とか「愛と死を見つめて」になっちゃうでしょ(笑)。自分たちは物心つくころから映画やテレビドラマなんかのオーバーな表現に馴らされてて、あんまり子供の頃からそういうのに影響受けてるもんだからリアルでの感情表現も演出が入ったような感じになってしまっているけれども(笑)、あの当時の人の身の処し方とか、気持ちの表し方というのは存外、あの位のもんだったんじゃないかな。まあ実際のところは分からないけどね。

―なるほど。当時の人間の感情表現がどうだったかとかは俺も分からないけどさ、こと風景とか人物の動きとかに関して言えば、空恐ろしいほど精密だなと思った。

―お前アニメとか全然詳しくないくせに動きの云々とか分かるの?

―るせえな、確かにアニメに関しては素人だし、恐らく本当に細かい所までは見えてないよ。でも例えばあれを実写でやってると頭ん中で置き換えて見てみたら、例えば関東大震災のとこなんかは全然遜色ないじゃん、つうかヘタな実写よりリアルじゃん。群集の動き回り方とか、よくあんなもん描けるよなと思うよ。

―まあ、ああいう描写のすごさってジブリお家芸と言えばお家芸だけどね。多分作品によって出来不出来とかはあるんだろうけど、毎回高い水準はキープしているが故に逆にあれがどれだけすごいかが見えにくくなってるという。

そういう最高な所がある一方で、最後の方の演出はハッキリ言ってゴミだったしな。俺がこの作品を素直に絶賛も批判もしたくない理由の一つはそれなんだよ。最高のシーンと最低なシーンとのムラがひど過ぎてどう対応していいのか正直分からん。

―最後の方がゴミ?具体的にはどこが?

―嫁が死んでから最後に至るまでが最悪。嫁が死んで戦争にも負けた堀越の挫折を表現したかったのかも知れんけど、ゼロ戦の残骸と美しいお花畑が並存している夢の中の風景というのはあまりに安易だし、堀越の佇まいも絶望感が全然出ていない。庵野秀明の声は映画全体としては正解だったと思うけど、このシーンに関しては心のない感じが裏目に出ている。そんな感じで嫁の幻影が出てきて「あなたは生きて」と言われたってなぁ、「いや、死んで詫びろ!」としか言いたくなくなるというか。

―ははは、ひっでぇなあ(笑)。まあゼロ戦に殺された人や、それに乗って死んだ人とかの立場に立てば、あれで絶望だの挫折だの言われてもこの大馬鹿野郎という感じになってしまうのはしょうがない。ただ俺は敢えて言うけど、そういう「分かってなさ」も含めてが故の天才だと思うし、例の「あなたは生きて」もカプロー二の台詞と絡めて見たら、結構業の深い演出だとも思ったけどね。

―カプローニの台詞って、どの辺が?

―最後の最後に堀越に向かって「ワインでも飲みに行こう」っつうとこ。カプローニは夢の中で再三出てきて堀越に飛行機への夢に取り憑かせる狂言回しみたいな奴なんだけど、そういう奴に飛行機の話じゃなくて「ワインでも飲もう」って言われるってのは要するに、「お疲れさんでした、あんたの役割はもう終わったよ」っつう事でしょ(笑)。それと「あなたは生きて」を合わせてみると「あんたは終わったよ、でも生きろよ、終わったからっつって死ぬなんて許さねぇぞ」っていう事になって(笑)、それって結構えげつないじゃん。

―最後の一言は言い過ぎだろ(笑)。でもくどいようだけど、それにしちゃそれを告げられた堀越に絶望感が足んないだろう。どっちかと言えば赦されたような顔してたと思うぞ。

―堀越自身の主観から見ればひょっとしたらそうなのかもね。これから先続く人生で、自分が終わったという事や、自分の夢と多くの命をいわば引き換えにした事と向き合い続ける重さを、その時点では理解できてないかもしれない。演出としてそこまでは描いてないけど、その辺は観客の想像力に委ねてるんじゃないかな。

―ふ~ん、それは俺は作り手として若干無責任な感じがするけどなあ。一から十まで説明する必要はねぇけどさ、せめて客に対するガイドライン的なものを演出でちゃんとやっとく位の事はするべきなんじゃじゃねえか。

―まあね、不親切っち言やぁ確かに不親切だし、風景とかのディテールの詰め方に比べたら拙速な感じがするのは否めない。全体的にあっさり目な演出なのも、意図的な所も勿論あるんだろうけど、監督が年取っちゃって正直そんなにしつこく出来なかったという所もあったのかも。

だろ?やっぱり遺作になるんじゃないの?

―この馬鹿野郎(笑)!遺作になるかどうかはともかく、これまでの宮崎駿のどの映画とも似てない気はしたね。単純にファンタジーやめてリアル路線やりました、というだけじゃなく。良くも悪くもこれまでの文脈にはない、何だかヘンテコな作品。

―ところで、この映画は恋愛映画でもあるわけだけど、それについては何かある?

―…分からん。大体人生において恋愛映画というものをロクに観てないので、普通の恋愛映画と比べてどうかとか、何も言いようがない。

―以下同文。あ、付け加えると堀越の嫁より妹の方が好み。

―…お前の好みの方が映画よりも堀越よりも宮崎駿よりも不可解じゃわ。