酒呑み失格の記

 久し振りのコラムであります。
 ここん所体調があんまり良くなくて。いや、臥せっているとかでは全然ないんですが、お盆明けくらいからのどの調子が悪いままず~っと来てて。
 で、あんまり治らないもんですからこの頃は無駄な外出を避けてあんまり無理をしないようにしてます。おかげ様で今週に入ってようやっと改善されてきましたけど。

 のど対策の一環として、今月から酒を家で呑むのをやめました。
 健康上の理由もさることながら、経済的な理由(笑)も実は結構大きいのですが、とにかく今月からは基本家呑みはなし(家族の誕生日とかクリスマスとかそういう時を除いて)でやってみる事にしたのです。
 私は酒好きを自認していたので、決めた当初はこれ結構しんどかろうなあと思っていたのですが、やってみるとこれがなかなかに快適だったのです。これは意外でした。
 私は酒好きなのですが、ものすごい酒豪というわけではないので、ある程度呑んだら人並みに酔っ払います。
 で、家で呑む場合(外でも?)、大概の場合呑んだら眠っちゃうんですね。
 今までそのために散々色んな作業をする時間をフイにしたり、逆にヘンな時間に頭痛で目覚めてしまったりとかいう事があったのです。
 家呑みをやめたら当然そういう事はなくなるわけで、こりゃ楽でいいわい、時間も無駄にしなくてすむし、というわけで、存外酒レス生活を楽しんでおります。のどが治っても、当分続けるつもり。

 家呑みはなし、と書いたので「じゃ外で呑むんでしょ?」と思われる方もいるでしょうが、私は酒のために街に繰り出す、という事を原則しないんですね。
 家以外で呑む機会というと、ライヴやその他イヴェントに行った時(出演する時と観に行く時と両方)と、年に何回か気心の知れた人達と呑みに行く、それぐらいで。
 そういう時には今後も手加減なしで(笑)呑むつもりですけど、友達と呑むのはともかく、イヴェント関係もそんなには行かなくなってますからねえ(特に観に行く方)。ましてや酒だけのために行きつけの居酒屋なんかに行って、なんて話にはなるわけもなく。

 そういう意味では私は真の酒呑みではないんだろうなと思います。真の酒呑みっつうのは体調悪かろうが家計が逼迫しようが常住坐臥呑んでるものでしょうし、酒だけのために行く店を何件もしってるものでしょうから。
 そこへ行くと今年亡くなったうちの親父なんかは真の酒呑みですね、死んだその日まで呑んでましたから(笑)。ああいう境地には俺は到底達しないだろうなあ。まあ特に達しようとも思わないんですが(笑)。

 さて人が酒を呑む理由というのはさまざまだと思います。単に味が好きだから、ストレス解消、酒が好きというよりは酒宴が好き、気が付いた時にはもうやめられませんでした(こうなるともう病気ですね)、などなど。
 その中でよく挙げられる理由の一つに「コミュニケイションのツールとして」というのがあります。
 これがね、私よく分からんのですよ。つうか、それを必要以上に吹聴する向きには、何か信用ならねぇものを感じてしまいます。
 いや、確かに酒席において人と良いコミュニケイションが取れたり、思わぬ人と仲良くなれたりという事はあると思いますよ。
 でも、それを求めて酒席に出向いたり、「呑んで腹割って話してこそ大人のコミュニケイションだ」などと言うのは、それは違うだろうと。
 だって私はわざわざ呑みに行かなくてもちゃんと人とコミュニケイション取れますからね(笑)、別に素面でも本当の事を言うべき時には、それは言いますよ。当たり前じゃないですか。
 逆に呑まないとそれが出来ないっつうのは、大人じゃないと思いませんか?

 他人と良いコミュニケイションを取るのに大切な事って、酒宴開いて呑んで話すなんて事じゃないと思うんです。
 それよりも常日頃の、素面の、色々な場面で小さい信頼や友愛(おお、すっかり評判の悪くなった熟語だけどあえて使ってやるぜ!)を様々な言葉で、態度で少しずつ積み上げていく事ではないかと思うのです。
 そういうものを積み上げてきた人達とだからこそ、たまに酌み交わす酒が日頃の信頼や友愛を深めるツールとして機能する事になると思うんですけどね。
 そこを疎かにしている人間に「呑んでこそ~」みたいな事言われたって、俺は一つも信用しませんね。そんなものはそいつが暴言だの愚痴だのを吐く(で、大抵の場合相手の話は聞かない)為の口実に過ぎないでしょう。そういうものをコミュニケイションとは言いません。
 
 段々話が酒から逸れて来てしまったので(笑)、今日はこの辺で。
 たまにはいいもんですよ、素面の人生。半端酒呑みが言うても説得力ないでしょうけど(笑)。