週末日記

10/29(土)
 先週同様、アコースティックギターを用いての練習。
 前回よりも大分感触を取り戻してきた。ただアレンジなどはやはり多少変えなければならないので、面倒くさい事には変わりないが(笑)、セットリストも決まり、悪くない按配である。
 そういえばこの度のアコースティックショウのオファーを頂いた際、先方から「アコースティックなので聡君の一面しか表現できないかとは思いますが…」とのお気遣いがあった。
 恐縮至極だが、ご心配には及ばない。アコースティックだからって一面だけ見せるに留める気は毛頭ない。今回はTARJEELING STANDALONE MODEのジャパンツアーの一環なので、そのモードにのっとって遠慮会釈なくやらせて頂きます(笑)。

10/30(日)
 午後から、世界激場のミーティング。
 そろそろ我々の出番である。もっとも開催はまだ先になりそうだが(笑)。
 今回はミーティング自体の内容よりも、その前にした話についてお伝えしたい。
 私は少し早めに来ていたので、先日図書館で借りた小説「アナーキー・イン・ザ・JP」を読んでいた。それをやって来た実行委員の一人が見つけて、その本の話になった。
 そのうち話は「今セックス・ピストルズが現れたとして、それがどれほどシーンにインパクトを与えるか?」というお題でのディスカッションとなった。
 そういう仮定に答えを出すのは難しいのだが、一つだけ言える事がある。
 イギリスはいざ知らず、日本やアメリカにおいては、少なくともリアルタイムで音楽シーンの話題をさらったわけではないという事だ。
 勿論往時を私はちゃんとは知らないけど、残された文献やピストルズのレコードセールス、そしておぼろげながら残っている幼少児の記憶等を鑑みても、あのバンドが当時日本やアメリカの若者の間で大人気となり、国中でパンクバンドが増殖したわけでは断じてない事くらい容易に推測できる。
 日本などは、音楽誌よりもそれこそ朝日新聞とかが「不況に喘ぐイギリスの若者は今」みたいなノリでパンクを国際面で取り上げたりといった具合に、一般紙の方が面白がってたようであるし。
 これは後々の色んなムーヴメントにおいても大体同じで、これはリアルタイムなので断言できるが、マッドチェスターやグランジだって当時の日本の洋楽リスナーがこぞって支持していたわけではない。そもそもがマイノリティである洋楽ファンの中でも主流のガンズ&ローゼズとか(笑)からは外れた、さらにマイナーなファンの間での盛り上がりだったと記憶している。
 あまり大きな声では言えないが、初来日するまでの日本におけるローリング・ストーンズの位置づけとかも、そんなもんではなかったかと私は睨んでいる。
 いや、「後から歴史をでっち上げやがって」とかそういう事をここで語るほど私も野暮じゃない。
 ただ、その当時本当に売れていた音楽と、それに触れた人が後々までも語り継ぎたいと思った音楽(マイナーなムーヴメントだったパンク他が何故今なお語り継がれるかというと、単純にみんなこっちを語り継ぎたかったからですね)とはあくまで別ものだという事は頭に入れておいたほうがいいだろう。そして日本では、大抵の場合それが一致しないという事も。
 単純な原則だが、割と忘れられがちな原則である。

 あ、「アナーキー・イン・ザ・JP」はなかなか面白い小説ですよ。