ある歴史を生きた、という事


 福岡のインディーシーンに詳しくない方にご説明する。
 吉村さんとは、今から10年ほど前から、福岡のあちこちで行われるライヴイヴェントによく来られているお客さんの事である。
 その吉村さん、ライヴの度にカセットテープ(!)で録音をされているのだが、その録り溜められた膨大な録音テープのほんの一部をみんなで試聴する、というのがこのイヴェントなのだ。

 先ほど「よく来られている」と書いたが、この「よく」の頻度が半端ではない。
 イヴェント中のご本人の弁によると、最低でも月15回。1日に複数のイヴェントをはしごする事もあるので、多い時にはそれこそ月30回とかになるらしい。
 それを10年である。お金を取って音楽を演奏している身からすると、頭を何べん下げても下げ足りないほど頭が下がる。私のライヴにも本当によくおいで下さっている(有難うございます)
 そういう意味では正に「福岡ライブハウス界の守護天使」なのである。

 この日のイヴェントはさながら、「2000年代の福岡インディー音楽史」の勉強会のような感じだった。
 録音された音源の貴重さもさる事ながら、その合間に吉村さん(や何人かのゲスト)によって語られた、例えばこんなに沢山のライヴに来るようになったいきさつだとか、当時のライヴイヴェントの状況だとかの話に「生きた歴史」としてのリアリティをとても感じる思いがした。
 それは、ここで語られた内容が福岡のインディー音楽の歴史として公平で客観的である、という意味ではない。というか、そもそも完全で公平で客観的な歴史というのは存在しない。しないのだが、やはりこれだけの時間を「歴史の現場」に身を置いてきた人の話は(内田樹っぽい言い方をすると)「持ち重りの仕方」が違うと言う気がする。
 先ほど「生きた歴史」を感じさせる、と書いたが、「ある歴史を生きた」事を感じさせる、と言う言い方のほうが正確かもしれない。
 また、吉村さんは(勿論好きなバンドや親しくしているミュージシャンというのはあるでしょうが)あくまで一介のお客さん、というスタンスで語られるので、いわゆる「関係者」がこの手の話をする時ありがちな、変なバイアスがかかったような所がないので(笑)、そういう意味でもとても偽りのない感じがした。
 もっとも勉強会のような、とは言っても別にそんな堅苦しい事にはならず、終始会場は笑いに包まれていたのだが。

 来週(10/17)も同会場で後編が予定されています。興味がある方は是非参加されてみては。