ソングライティングなう

 なかなか時間の取れない日々だが、週末に何とか時間を作って曲作りを行う。
 「TWILIGHT HOPE」 を出す前後から書いていた曲の大部分が未完成なので、それを仕上げないといけない。
 私は不器用なので、一つの事が始まるとなかなか平行して他の事が出来ない性分だ。世界激場とか、ツアーとか、そういう事があるとついつい曲作りはおろそかになってしまう。
 ホント、断片だけだと既にアルバム1枚分くらいのストックはあるんですけどね。それを曲がりなりにも完成した1曲に持っていくのは大変なのだ。

 ところで、一口にソングライティングと言っても人によって、様々な作り方がある。
 いや、本当は一人の書き手の中にも色々なソングライティングのスタイルがあって、年齢だとか時代だとか、曲のテーマだとかによって様々に変わったり、意図的に変えたりするものだと思う。
 個人的な意見だが、生涯一つのやり方でソングライティングを行う書き手というのはいないのではないか。
 私は見かけによらず(?)随分と飽きっぽい方なので、その時に応じてソングライティングの方法はしょっちゅう変えている。
 ソングライティングを大雑把に分けると、歌詞(言葉)作りとメロディー(というか音楽ね)作りに2分されるわけだが、ここでは言葉の作り方に絞って話をしたい。
 異論もあろうが、歌詞をこれまた大雑把に二分すると、ある(心象も含む)風景やイメージを描写するタイプの詞と、あるストーリーを伝えるタイプのものとに分けられる気がする。
 リスナーの立場としては、私は両方とも好きだ。だが書く側としては、ここ何年かの傾向としては後者のタイプの歌詞の方を圧倒的に多く書いているようである。
 年齢のせいか解らないが、どうもイメージの羅列だったり、個人的な心情吐露といったタイプの歌詞は思いつきにくい。思いついたところで「だから何なん」と自分に突っ込みを入れてボツにする事が多い。
 そこへ行くと歌詞を「お話」にしたら文字通り「話が転がる」(笑)。自分の心情を託す場合でも、一旦寓話めいた話にした方が遥かに書きやすいし、個人的な所を越えて訴えやすいというメリットもある。オチというか完結させるのもこの方が楽だし。

 しかし、その方法ばかりに頼るのもどうなの?という気がする。
 いや、ストーリー仕立てにするというのはそれはそれで良く出来た方法論だとは思うけど、大して言いたい事がなくてもそれなりの話をでっち上げられるという事でもあるわけで。
 そういうでっち上げ話というのは、まあ想像はつくと思うけど、非っっ常に陳腐になる。大体寓話という方法論自体、歌どころか古今の物語の中でも散々試され尽くした方法論なのでちょっとやそっとの事書いても過去のものとまるっぽ同じという事になってしまうし。
 それに、物語ならいざ知らず、本当は歌の中にオチなんて要らないんだ。あっても別にいいけど、下手にオチを作る事はともすれば、聴き手にヘンな安心感を与えてしまう。結末まで聞いた聴き手が「ああ~、はいはいはい」などと言って腕組みしてうなずくような仕儀に及ぶのが歌の醍醐味か?と言われると、それはちょっと違うだろうと言う気がする。
 しまいまで聴いて、「え?結局どういう事?」という感じで終わって、でも全体としては奇妙に面白い、そんな歌だってきっとあるはずだ。まあ、そういう歌を作る為には歌詞のみならず、音楽の作り方まで含めた上での様々な工夫や飛躍が必要になってくるんだろうけど。

 というわけで、ただいま悪戦苦闘中です(苦笑)。