消える古本屋

 虫が知らせたのかもしれない。
 過日、終業後、ふとしばらく行ってなかった職場近くの古書店に足を運んでみたら、今週末で閉店との貼紙が貼ってあった。
 最後との事で、半額セールになっていた中から、文庫本を2冊だけ買った。

 福岡に暮らし始めてもう20年以上になるが、私の福岡での年月というのはある意味では「古本屋の終焉を見届け続けた20年」とも言える。
 こちらに越してきてしばらくは随分あちこちの古本屋に足を運んだものだ。
 私は六本松地区の学校に通っていたのだが、学生街という事であの界隈は特に古書店が多かった。
 古本屋、と言っても当然の如くピンからキリまでで、学術書やいわゆる稀こう本を中心に扱ういかにも専門店然としたものから、お母さんと子供が店番してるような小ぢんまりとした店(またそういう店に結構ヘンで面白い本があったりしたんだ、これが)、何故かエロ本だけやたら充実している店(笑)など、本当に様々なタイプの店がひしめいていた。
 個人的には、専門店っぽい店よりかは、品揃えも並べ方もぞんざいで、町の片隅で営業するでもない感じで開いているようなお店が好みだった。
 しかし、折りしも時代はバブルが弾けた頃。不景気の煽りと学生の本離れを受け、私が卒業する少し前位から、徐々にではあるが街から古本屋は消え始めていた。特に私が偏愛していたようなタイプの店から順番に。
 決定的だったのはブックオフの登場だった。よっぽど特色やこだわりのある店でない限り、近所にあれが出来てしまうと小売店はひとたまりもない。ブックオフが福岡に上陸してから以降は、古本屋が消えるスピードは格段に加速していった。そして2012年現在、そのブックオフも全盛期より遥かに店舗数を減らし、20年前にあれほどあった古書店はその殆どが廃業するかオンラインオンリーの店になり、街場から消えた。

 先日、ブックオカの公式ガイドブックを手に入れたら、赤坂の古書店「徘徊堂」のご主人がエッセイを書かれていた。
 その中で、以前近くにあった名古書店痛快洞」の閉店にふれ、「みんな『なぜ痛快洞なくなったんですか?』とみんな聞いてくるたびに、『あなた方が買わなかったからですよ』と言いたくなる」という趣旨の事を言われていた。
 気持ちは分かるけれども、少し言い過ぎの感もしないでもない。
 確かに、古本屋でも映画館でも、残そうと思ったらそれにちゃんとお金を払って商売を成り立たせないといけない。それは大原則だ。
 けど、徘徊堂の方にそういう事をわざわざ聞いてくるようなお客というのは、おそらくは痛快洞や、他のお店や古本市なんかにもそれなりに通ってきた人だと思うんですよ。いわば古本文化を愛してきた同士みたいなもんで。その人に向かってそういう事を言うのは(実際にはおっしゃってないでしょうが)、さすがに酷なのではないかと。
 それに、古本(まあレコードとかでもそうだけど)を買う客でい続けるのって、年数が経てば経つほど大変になってくると思うんだ。経済力の問題、収納場所の問題、年取ってから収集したものをどう処分するかの問題等等。社会状況からしても、今はそういう事をし続けられる為のハードルは高くなる一方で。
 だから、これは古本屋に限らず映画館でもライヴハウスでも何でもそうだと思うけど、「残したかったらもっとお金落とせよ」とただ闇雲に言った所で問題の解決にはならないと思う、私は。勿論この事はお店の方が一番分かっておられる事とは思うのだけど。

 とは言え、やっぱり「閉店します」なんて貼紙を眼にしてしまうと、「ああもっとこの店に行って買っとけば良かった」とか反省してしまうのも人情なんだけどね。