萩尾望都展再び、の週末

・3/5(土)
 ほぼ一日中マスタリング。
 何となく↑の記述って、作家とかが日記でよくやる「ほぼ一日中原稿を書く」みたいだけど(笑)、本当にそんな感じの作業である。ビジュアル的にもPCに向かってひたすらキーボードやマウスを操作するだけだし(違うのはヘッドホンをつけてる事くらい)、内容的にも「う~んここのコンプのスレッショルドは何デシベルまでにするべきか」等と呻吟してるのって、「う~むこの末尾はやはり体言止めにすべきか」とか言ってるのと限りなく近いように思えるんだけど。
 まあ作業の流れで比較すると、どっちかというと原稿そのものを書くというよりは校正とかに近いと思うんですけどね。
 結局現在終了したのが3曲。そのうちOKが出せるのが2曲。先はまだ長いわぁ。
 
・3/6(日)
 再び、「萩尾望都原画展」http://www.hagiomoto-gengaten.com/に赴く。今回は家人も一緒である。
 雨だというのに結構盛況である。まあ週末だし、花粉症の季節には雨の方が出歩きやすいという人もいるだろうから。
 
 前回行った時は「あの作品の生原があるしかもこんなにも大量に!!!」というだけで興奮しっぱなしだったのだが(笑)、さすがに2回目となると多少は冷静に観る事が出来る。
 
 実を言うと私、近年の作品に関してはあまり(つうか殆どか)フォローしていない。
 それが今回の原画展では、それこそ去年一昨年に発表した作品などもまとめてみる事が出来た。
 そこで思ったのは、この人の「現役度」の高さと、その功罪だ。
 私がもっとも萩尾作品に親しんでいた時代は80年代中後半頃だが(「マージナル」期ね)、好みはともかくとして往時の作品と近作との「落差のなさ」は目を見張るばかりだ。特に、画のレヴェルのキープ具合はすごい。未だに過去と違う事をやろうとしている、というかどうかすると今の方が上手いかも、と思う事すらある。
 ロックに例えるなら、70過ぎても世界中でライヴをこなすボブ・ディランや、還暦過ぎてもステージへのダイヴをやめないイギー・ポップのレヴェルである。
 ただ、これはしんどかろうと思う。
 レヴェルをキープするのも勿論だが、その結果が必ずしもファンに歓迎されたり、いい結果ばかりもたらすとは限らないからだ。
 例えば家人は、90年代以降の萩尾さんの絵柄には馴染めないのだという。人物の造形やタッチがごつく、硬くなっているというのが理由のようだが、言われてみれば確かにそうである。
 恐らく90年代いっぱいかかって「残酷な神が支配する」という、かなりへヴィーで長大な内容の作品を書いていたので、そういう内容に対応できる絵柄を開発していった結果なのだろうとは思うが、そしてそれは確かに偉大な事ではあるのだが、その事で初期の絵柄が持っていた魅力の一部が失われてしまったという事はあるのだろう。
 勿論過去の焼き直しを繰り返すような作家より全然偉いのは言うまでもないし、周りでいくら止めようとも前進をやめない人だろうとは思う。ただ事実として、多分もう「ポーの一族」や「訪問者」のような画は描けないし、戻れない。
 また、自分が良かれと思った変化もオールドファンには歓迎されない事も多い。
 そして「現役」であり続けるというのは、そうした事を全て引き受けて、それでも前に進む方を選ぶ、という事なのである。