不定期連載「馬の脚」第8回「6月11日の反原発サウンドデモにわずかばかり参加して思った事」

 前回の本コラムで予告したとおり、今回は6月11日の反原発サウンドデモに(ちょっとだけ)参加したので、それについて書こうと思います。

 まず私、反原発のみならず、いかなる種類のデモにもこれまで参加したことがありませんでした(あ、1回だけあった。公務員時代にメーデーの日に動員されて行った奴。でもあれは自発的意思じゃねえからなあ)。
 なので、今回参加した動機としてはまず「『サウンドデモ』って何するの?普通のデモとどう違うの?デモしながらライヴとかすんの?じゃあ行ってみてえなあ」といったかなりどうしようもない、殆ど物見遊山か社会科見学に近いノリであった事を最初に白状しておきます(苦笑)。
 あ、勿論反原発というか脱原発というか、今までの原発政策に疑問と反対の意思を持ってはいます。ただデモというアクションで変化にどれだけの効果があるのかについては、かなり疑問を持っているのも事実で。
 ただそれって勝手な先入観かもしれないじゃないですか。先入観を正す上で、また震災以降のことを考える上で、一度参加しておくのは悪くないと思ったものですから。

 午後1時過ぎに最初の場所である警固公園にいると、おお既にチラホラと人が。この手の集会につきものの(?)のぼり旗も色々。
 で、公園に一歩足を踏み入れると、早速いろんな団体の人が寄ってきてアジビラを渡す渡す渡す。ただそのアジビラっちゅうのがですね、古色蒼然としとるというか、私が学生の頃よう学食にヘルメットと手ぬぐいサングラスで素性を隠した人が撒きよったものと殆ど進化してない文面&デザインのものが大半を占めとってですね、あるビラの文中に「日帝支配層が云々」などという表現を見つけた時点で帰ろうかと思ったのですが(笑)、まあここは我慢して開始を待ちました。
 聞けばこのサウンドデモ、世界中で100万人の動員を目指しているとか。それを達成するには私みたいな、限りなくノンポリに近いけど今回の事故を受けて慌てふためいているオッサンとかにも理解される表現で語らんといかんと思うのですが、こんなビラ撒いているようではいかがなものかと。せめてもう少し分かりやすく書けないもんですかね。全文ひらがなにするとか(笑)。「にっていしはいそう」みたいな。

 開始後しばらくは主催者や、運動団体の人とかのスピーチが続く。一応聞いたのだけれど、まあ退屈なんで(すみません。でもやっぱり「人に聞かせよう」と思ったらもうちょっと面白くする工夫は必要では?知ってる事柄が多かったし)、一旦公園を出てフラフラ周辺を歩く。すると天神交番の辺りで、今回のデモに反対する人の演説がありよったのでそれを聞いてみる。
 だが、すまん、内容に共感以前に何を言ってるのかがよく分からない。原発を停止したら失業者が溢れる云々はまあいいとしても、「反原発派は日本のソーラー化を狙っているのです」と叫んだ時には思わず吹き出してしまった。何だよ「ソーラー化」って。

 戻ると初めて音楽関係の知り合いに数人会う。Kさん曰く、「今日音楽関係者多いよ。今日来てる奴だけでバンドが30個ぐらい組めるんじゃない?」そ、そうなの!?結局この日私が知ってる人って合計で10人もいなかったんだけど。ああいかに私が日頃音楽関係の人に不義理の限りを尽くしているかわかろうというものだ…。
 まあそんな話はどうでも良い。スタート予定時間を20分くらい過ぎて、ようやくデモ行進開始。この時点で集まった人は目視で500~600人くらいかなあ。最終的には1000人を超えたそうだけど。
 2台のバンにドラムとサウンドシステムを1セットずつ組み、1台はベース&ギターを加えてレゲエノリのインストを奏で、もう1台はドラムのみ(確かツインドラムだった)の構成。それと行進する人が思い思いに音を鳴らす&シュプレヒコールをする、という感じで進む。
 ここで私は失敗をした。スタート時、Kさん達と同じ列に加わって始めたのだが、途中で写真とか撮っているうちにはぐれてしまったのだ。
 当然、まわりは見知らぬ人ばっかりである。で、こういう場合の常として、別に周りで話しかけてくれる人とかもいないので、行進しながら結構孤独感を感じてしまう。
 あと、サウンドはとても気持ちよかったのだけど、思ったより音に反応している人が少ない。私がいた場所が悪かったのかもしれないのだが、踊るには最高のダビーな音が流れているのに皆さん整然と行進してらっしゃる。
 これじゃサウンドつける意味ないじゃん。折角格好いい音なのに。とか思うと孤独というより、段々腹が立ってきた(笑)。
 この時点で抜ける事も考えたのだが、いくらなんでもそんな理由で抜けるのは情けないので、皆さんが整然とデモる中、すごい仏頂面で身体をグラグラ揺らしながら一人行進していたのでした(笑)。

 私が見る限りでは、バス停のお客さん以外(車道を行進するので、バスの乗り降りに支障をきたす場面がいくつかあったのです)総じて通行人の方は好意的、というか単に物珍しそうに(笑)見守ったり写メ撮ったり、てな感じだったのですが、勿論先ほどの「ソーラー化」氏のように好ましく思わない方々もいらっしゃる。
 パルコの前を通りかかった位のところでそれは起きた。
 その辺りで「在特会」(在日特権を許さない市民の会)が演説を行っていたのだが、我々が通りかかるや「反日サヨク」だの「国賊」だのと罵声を浴びせ始めた。
 私はまあ、物見遊山気分なので(笑)「ほほう、これがあのザイトクカイとな」位にしか思わなかったのだが、私の陣取っていた辺りに右派(だよね?「反原発右派」ってプラカード掲げてたもん)活動家の外山恒一氏の団体がいて、彼らにも在特会さんは怒号を飛ばすわけ。
 普通に仲いいのかと思っていたのでその事自体も驚いたんだけど、その怒号が「外山、いつからオマエは裏切って反日サヨクになったんだ」とかいう内容のもので、それで私は考えてしまうわけよ。
 だって、福島があんな事になってる以上、右派の立場からも反原発を表明するのはロジック的には「あり」でしょ。天皇陛下とその臣民の(笑)平和を脅かす原発推進派は国賊なり討つべし、ってな感じでね。
 たしかに左派の団体も一杯参加している今回のデモだけど、単純に「原発反対」という立場に立ったら呉越同舟でも同じ行進の列に加わるのは有り得る事だと思うけどね。何をムキになっているんだろうと思う。
 それにwikiでざっと読んだ限りでは、在特会の主張する所と原発推進か反対かというのはどう考えてもリンクしないというか、そもそも「別問題」じゃないの?仮に在特会の会員が全員原発推進派と仮定しても、それを根拠に反対派を全員「サヨク」呼ばわりするのは論理的に間違ってると思うけどね(そもそもこの世の圧倒的大多数は、私も含めて右も左もどうでもいいんですよ、正直言って)。
 私は外山氏と在特会の間に何があったかなんて全く知らないし知るつもりもないし例え知ってる人がいても知らせてくれなくていいのだが(笑)、とりあえずその非難の仕方は違うだろうと思った。というか、そんな幼稚なロジックを絶叫するのはこっちまで情けなくなるからやめてくれという。
 ちなみに外山氏の団体はクールに対応していました。ま、そもそも今回は目的が違うしね。

 結局天神まで歩いて来たせいか、在特会の件のしばらく後に股関節の辺りが痛くなり(情けない)途中でリタイアしたのだが、結論から言うと行ってみて良かったとは思った。
 単純にアピールという事であれば、こういう行為はそれなりに意味があるものだという事も、理解は出来ました。
 ただねえ、やっぱり俺には向いてない。
 行進はいいとして、あのシュプレヒコール(「原発、いらな~い。電力、たりてる」って連呼するあれね)というのが、ダメなんだ。
 というのはやっぱり、原発というシステムを今まで正当化してきた事の一部に、紛れもなく自分がいるという事をどうしても思ってしまうのだ。
 勿論、例えば「お前電気使ってるのに原発反対って言うのか」等といった反論は容易に笑い飛ばせるし、お前個人が逡巡しても原発はなくならないではないかというのも、分かる。
 だけどやはり、あれを言ってしまっては、また言うにしてもああいう言葉遣いでああいう言い方で言ってしまっては、それ以上考えが先に進まないような気がするのだ。
 前のブログでも書いたけど、原発を考えるというのは、ただ単にそれが正しいか間違いかというより、人間の「業」とどう向き合って折り合いをつけるか、という要素が私には不可欠に思える。
 そして、あのシュプレヒコールは、その思考を妨げる。それはやっぱり、私には出来ない。

 繰り返すが、デモは私はある程度有効だと今回思った(どの程度かというのもあるが)。ただ、違うアプローチで色々考えて行かないと、目的は達成されないというのも、今回強く思った事だ。
 もう一つ。あんまり長くなり過ぎてもいけないので(充分ここまでで長ぇよ)手短に書くが、やはりコミュニケーションの問題がおろそかにされている気がした。ビラや演説の排他的なノリとか、反対派と賛成派の間のズレとか、賛成派同士の中の差異とか、その辺を―繋ぐというよりは、一旦きちんと認識し合うという意味での―コミュニケーションが必要かと。
 まあ仏頂面で一人踊り歩くような奴にこんな事言われたくないだろうけど(笑)。