ニューアルバム発売記念企画 短期集中連載「MAKING OF TWILIGHT HOPE」最終回「そして、黄昏に希望あり。」

 ニューアルバム「TWILIGHT HOPE」のメイキングを綴った連載も今日で最終回。
 今まで長々とお付き合いくださいまして有難うございました。
 今日は最終回という事で、アルバムタイトルについて書きたいと思います。

 例えば英和辞典を引くと、「TWILIGHT」の項にはこうあります。
 【名詞】Ⅰ (日の出前・日没後の)たそがれ(時), 薄明, 薄暮 Ⅱ 《文語》 (薄明に似た)微光 Ⅲ 《文語》 (全盛期・栄光・成功の後の)たそがれ(の状態) 【形容詞】《文語》 たそがれの, 薄明の
 う~ん、あんまり「希望」にふさわしくない言葉ばっかり並んでますな。名詞のⅢとかはっきりと「全盛期・栄光・成功の後の」って書かれてるし(笑)。最高傑作を自認するアルバムタイトルには、あんまりふさわしくない言葉かも。
 何でこの言葉に「希望」をぶつけたんでしょう?
 実はつけた本人も、よくわかっていないのです。
 ただ「黄昏」と「希望」について考える時、私の頭の中に去来するのはこんな物語です。

 子供の頃、私は学校嫌いの子供でした。
 理由は色々ありますが、子供の私にとって学校というのは「図書館で本を毎日借りれる」以外にほとんど何の楽しみもないものでした。
 だから当然の事、朝というのは苦痛な学校に行かなければならない時間だったので当然イヤで。
 その反対に、学校が終わって、放課後に図書館へ行って本を借りてから帰る時間である黄昏時というのは、嫌いな学校から解放される時間でしたから(まあ家がよかったのか?というとそれもまた色々あるのですが:笑)、何だかホッとするような、結構悪くない時間だったのです。
 
 学校を(というか、自分を取りまく世間全体を)嫌いな子供にとって、世界が希望に満ち溢れているかというと、決してそのようなものではないでしょう。
 周りのみんなが見せる屈託のない笑顔の中に希望があるというのなら、そんなものはこの子供の中にはない。むしろそういう連中や、屈託のない希望を強要する大人たちと離れて、黄昏を見ながらホッと一息つけるとき、ほんのささやかながら宿るもの、それが希望と呼べるものだったのです。
 そして、そんな子供がロック音楽というものに出会った時、それは「自分を支えるためのつっかい棒」であり、「希望のない世界と渡り合う為の武器」だったりするものだと思います。
 そうやって何とか、本当に何とかジタバタしながら生きていって。
 やがて大人になって随分経った時、その子供は奇妙な事に気づきます。
 自分は相変わらず何とかジタバタと世の中を生き抜いていっているけど、この状態自体に慣れてしまったし、色んな事をその過程で学んで楽になった部分もある。
 ところがどうでしょう。かつて屈託のない希望を体現していた子供達の多くが、何と希望のなさそうな、あるいは希望を欲望と取り違えているような顔つきで人生を歩んでいる事か。
 自分だって人の事は言えたもんじゃなくて、年相応に汚くなったりくたびれたりしている所は沢山ありますが、それにしても…。
 君達はもっと、「俺より遥かに楽しそうな人生」を送るはずじゃなかったのか?

 よくよく周りを見渡して考えてみると、「希望に満ち溢れた世界」なんてどこにもありゃしないのです。
 このアルバムの製作期間に限っても、スタートさせる頃はリーマンショック後の大不況一色で、終了間際に大震災と原発事故が起こって。
 後になって歴史を振り返ると、この時期の日本は「黄昏の時代」どころか「未曾有の暗黒時代」なんて形容でくくられることになるかもしれません。
 かつての「屈託ない希望」(その希望もまあ、物欲とかの延長線上に過ぎなかったのかもしれませんが)を信じていた子供達は、ものの見事に梯子を外されたような格好になってしまっています。
 「バカだったね」の一言で片付ければいいのかもしれませんが、そうした所で何がよくなるわけでもありません。
 ものの見方を変えるべき時なのかもしれません。
 経済にせよ人口にせよ、「昨日より明日」的な希望の物語を捨て、それこそ斜陽、黄昏の中でささやかな希望を見出しながらゆっくり老いていく、みたいなあり方に世の中は変わっていくのかもしれません。
 それは否定しません。というか、こと経済に限ってはそれしかないだろうと思っています(これ以上「経済成長」してどうするんだ?)。
 でもね。
 私は根っからのひねくれ者なんですね。そういう事を、棺桶に片足突っ込んでいるじいさんがあきらめ半分な顔で説いているのを見ると、それはそれでムカムカするんです(笑)。
 
 論理的には滅茶苦茶な事を承知で言います。
 どうせ言うなら、「黄昏こそ希望だ」くらいの事は言ってみやがれ。
 これから産まれてくる者が浮かばれねえよ。

 私は今でも、ロック音楽を「自分を支える為のつっかい棒」であり、「希望のない世界と渡り合う為の武器」だと思っています。
 本当は、「黄昏こそ希望だ」なんて、張らなくてもいい虚勢なのかもしれません。
 でも、世界と渡り合うんですから、このくらいの虚勢は張らなくちゃいけないんです。少なくとも私にとっては、ロックとはそういう事です。

 このアルバムの製作直前、私はこんな事をネット上の日記(当時はブログですらなかった:笑)に書いています。
 
 世界恐慌バブル崩壊以上の不況到来だってここん所世間は何かとうるさいですわな。 
 私も家人とTVニュースなど見てる際には「うーん厳しそうだね」「何とか猫達を路頭に迷わせんようにだけはせんといかんねえ」などと会話したりする。ま、経済生活レヴェルではこっから何十年か、大変な時期が来るんだろうとは思いますよ。 
 でも心の別の方では「どうかな?これは存外、人が『本当に自分が面白いと思う事、やりたい事』に素直に向き合える世の中になるチャンスかもしれないよ」とか思ってる自分もいて。全然具体的な根拠はないんだけどね。 

 この気持ちに基づいて、私はこのアルバムを作りました。
 今考えると、「本当に自分が面白いと思う事、やりたい事」というのは、「希望のない世界と渡り合う事」そのものなのかもしれません。
 金や名声の為に音楽をやる人も、純粋に音を奏でる喜びのために演奏する人もいます。
 人それぞれです。
 でも、私と似たような気持ちで音楽をやったり聴いたりする人は、他にも必ずいると確信しています。
 願わくば、この「TWILIGHT HOPE」が、そういう人に響くものでありますように。
 ほんのささやかでいいから、彼らの「渡り合い」に貢献出来ますように。
 勿論、純粋に音楽を楽しみたい人にも楽しんでもらえるようになってますように。
 そして、この音楽が聴いてくれた人の心の中に、少しでも長くとどまりますように。

 以上で、この連載はおしまいです。
 長々と(本当に!)おつきあい下さり、有難うございました。
 それでは、9/9(金)、JUKE JOINTでのファンミーティングでお会いしましょう!



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