週末日記

・11/19(土)
 朝から健康診断を受けに天神の病院まで。
 twitterにもちょこっと書いたけれど、正直かったるいが、まあ仕方がない。年に1回だし。
 幸い今ん所健康には支障がなさそうである。視力が落ちていたようだが、これは前日夜にネットをやっていたせいだろう(笑)。前日ぐらい早く寝なさい。
 問題なのは、バリウムを飲んでの検査だ。
 バリウム自体は私は平気で飲めるのだが、検査を終わった後、こいつのせいで毎回厄介な状況に陥るのである。
 どういう状況なのか具体的に申し上げると…、いややめとこう。かなり尾籠な話になるので(笑)。

 夕方は練習。
 東京公演、及び福岡での今年最後の公演にむけてのものだ。

=東京公演詳細=
2011年12月7日(水)
料金:前売1500円/当日1800円(+1drink order)
出演:TARJEELING STANDALONE MODE/ENOLAGAY/PERFECT SPORTS/RAGZOO/他

=福岡公演詳細=
2011年12月11日(日)19:00開場 19:30開演
薬院Utero「this is what you want 43」
料金:1500円(+1drink order)
出演:TARJEELING STANDALONE MODE/warsawpact/THE TORTOISE CITY BAND ELECTRO(北九州)/23℃
※TARJEELING STANDALONE MODEは3番目の出演です(20:50頃)。

 是非ともご贔屓に!

 ここしばらくはアコースティックギターを使っていたので、結構いつもより強くストロークする癖がついているようだ。
 当然強く弾くと音をしっかり出せるので基本的にはいい事なのだが、度が過ぎるのも考えもので、この日などはあまり強く弾き過ぎたのかある曲を演奏し終えた後にブリッジのサドル部分が1本まるっと飛んでしまった(笑)。
 ジャズマスターは確かにブリッジが不安定なのが特徴だけど、それにしても…(笑)。弾き方が強いというよりは、ひどいといった方が正しそうだ。
 曲順はまだ決まらない。東京は初となるので、とりあえずインパクトを与えられる選曲を考えたい。


・11/20(日)
 午後から、福岡市文学館へ。
 こういう催しをやっていたので、無料だし(笑)行ってみる事にした。


 サイトにもあるが、会場は2つに分かれていて、どうもメインの会場は総合図書館の方になるらしい。
 文学館の方にも結構当時の色んな雑誌のコピーや解説があるのだが、やはりメインの方に行ってからの方がよかったかもしれない。
 ただ、メイン=百道、第二会場=天神、なので、どうしても1日で両方見るのは困難である(つうか移動めんどくさいね:笑)。もっと近場に設定するとかして欲しかったですなあ。

 私なりの大雑把な理解では、今から50~60年ほど前に、福岡の炭鉱や鉄道、製鉄所といった所で働いていた労働者が、その劣悪な労働条件その他を改善するための運動(闘争)の一環として各種の「サークル誌」が労働者自身の手で(作品から印刷まで)作られていった、そのムーヴメントの回顧展という事になる。
 もっとも主催者の意図としては単なる回顧だけでなく、現在の(非正規雇用などの)労働状況を睨んだ上での企画という事もあるかもしれない。
 まあそういう事情を抜きとしても、戦後復興~繁栄の道を進んでいった日本社会の裏で起こっていた事の記録として、こういった事は語り継がれるべき事であろうとは思う。
 ただ、やはり私のようにその時代には産まれてもおらず、周りに炭鉱も製鉄所もなかったような人間がその内容について心から共感する、というのにはどうしても無理がある。
 だからかもしれないが、苦しい生活をそのまま描写したものや、闘争や団結をストレートに訴えるものよりもむしろ、例えば編集後記で雑誌を金取って売る事に労働者仲間から嫌味を言われる事を編集者が愚痴ってるものとか、明日からはまたストで対決する事になる若い警官と夜の銭湯で背中を流し合うさまを描写した短歌などの方が、私には素直に心に入ってきた。
 そりゃお前に想像力が足りないからだよ、と言われれば返す言葉もないし、この回顧展のテーマの本筋とは違うのだろうけど。

 あと、当時はほぼ全てのサークル誌が「ガリ版」で作られている。
 掲載作品の中に書いてあったが、ガリ版というのはその構造上、途中で誤字が出てしまったらそこだけ修正というのがきかず、ページの最初からやり直さなければならないそうだ。
 しかも当然手書きで版を作る事になるので、1冊の雑誌を作る際の労力たるや膨大なものになる。しかも作業は当然過酷な労働が終った後に行うのだ。
 それを考えた上で改めて展示された雑誌の数々を眺めると、その情熱には畏敬の念を抱かざるを得ない。それは当時を知らぬ人にも、彼等の苦しみを理解できない人たちにも、感じる事は出来るのではないだろうか。