the campsのアルバムを聴いて貨幣経済について考えた(大げさ)。


 先日、the campsの新しいアルバムのレコ発ライヴに行った事は前回のコラムで書いた。
 もちろんその際にニューアルバム「ポップソング歌わせて」を購入したので、ここ数日はそれをよく聴いている。
 素晴らしいアルバムである。
 いつもならそのアルバムの素晴らしさについて駄弁を弄する所、今回はちょっと趣向を変えてみる事にする(駄弁を弄するという点では全く同じなのだが)。

 購入したアルバムを初めて聴き終わった際に、私はとても奇妙な感想を抱いた。
 といってもアルバム自体の印象が奇妙だったというわけではない。
 どういうわけか、最後の曲が終わった瞬間に、心の中でこういう風に私は叫んでいたのだ。
 「あーっ、この音楽に金払いてぇ!!金を払わしてくれ!!!」

 どう考えてもこの感想はおかしいですね。
 まず金払わしてくれも何も、お前はすでに金を払っているじゃねえかという話がある(笑)。サンプル盤をただでもらったとかいう事ならともかく。
 ただ、例えば試聴コーナーとかでアルバムを聴いた際に先のような感想を持った場合は、まあありえない反応ではない。
 だから、多分この感想が浮かんだ時、私は多分金を払ってアルバムを買った事を忘れていたんだ(笑)。内容が良かったので、まるで知らないバンドのすごいアルバムを偶然発見した時のように興奮してしまったんだね。

 さてそうだとしても、やっぱりこの感想はどっか奇妙だ。
 アルバムというのは、言うまでもなく商品である。
 普通人は商品を買いたいと思った時、「金を払わしてくれ」などという感想を抱かないものだ。
 今の世の常識では、商品を売る方と買う方どっちが偉いかと言うと、まあ買う方である。なぜなら買う方は商品と引き換えに「お金」をくれるから。その「お金」を手に入れたら、売る方が色んなものを「買う」事が出来るから(「買う」立場になれる、と言い換えてもいい)。
 なので普通、大なり小なり買う方は売る方に対して上から目線だ。どれ金を払ってやろう、こういう商品じゃなきゃ買ってあげないよ、この商品は俺の払う金に本当に価するのかね?等等。勿論音楽産業とて例外でない、と言うか、少なくとも今の日本では音楽産業が一番この原則に忠実であるのかもしれない。
 「金を払わしてくれ」なんて、おかしくない?

 いきなり話は飛ぶんだけれど、最近読んだ本でこういう話を聞いた。
 うろ覚えで申し訳ないのだが、確か貨幣というか、交換経済の成り立ちについての文章だったと思う。
 よく子供向けの「お金のしくみ」みたいな本には、人類が物々交換を行うようになった経緯として「山では作物が多く取れ、海では魚が多く取れました。取れすぎて余ったものをお互いの足りないものと交換して、物々交換が始まりました」などという説明がなされているけれど、その文章書いた人はそういうのは嘘だと言うのだ。
 というのも、大昔の遺跡なんかで、明らかに交換用に自分達の要る分より多くものを作っている形跡がしばしば発見されるのだという。
 そこからその人は「余ったものと足りないものを必要に迫られて交換したのではなく、まず『交換したい』という欲求が先にあったのではないか」という推測をしていた。
 だから貨幣というのは、「交換したい」という欲求を満たす為だけに開発されたものなのだそうだ(なにせ貨幣は商品と交換する以外、実用的な役には何にも立たないものだから)。
 勿論真偽のほどは定かでない。
 けれど、私はその説明、何となく腑に落ちた。というか、その説明が気に入った。

 自分とは全く違う場所にいて、自分とは全く異なる生活を送っている人間と、その持ち物を「交換したい」という欲求は、例えばこう言い換えることも可能だろう。
 「コミュニケーションの欲求」。
 だとすれば、貨幣でものを買う、という行為を、コミュニケーションの一環として捉える事も可能だろう。
 それに則って、最初の感想をこう言い換えてみる。
 「あーっ、この音楽とコミュニケーションがしてぇ!!コミュニケーションをさしてくれ!!!」
 なるほど、俺はこれが言いたかったのか!!!

 音楽や音楽を奏でる者と、聴く者との間には様々なコミュニケーション方法が存在する。ライヴで盛り上がる、直接感想を伝える、アマゾンのレヴューで褒めたりけなしたりする、または、一人でじっくり音楽に浸る。
 それぞれ利点と短所があるけれど、「その音楽を買う」という行為だって、本当は立派なコミュニケーションの手段だ。
 だが音楽をやる方も聴く方も、とかく「音楽とお金の話」になるとどっか素直に語れない所がある(私もだ)。あいつは金で魂売って売れ線に走ったとか、音楽には何かとお金がかかるからお金取らないと仕方がないんだとか、どっかお金に対しては腰が引けたり、斜に構えたりしがちだ。
 けどさ、自戒も込めて言うけど、お金で買う・売る=コミュニケーションをする、という風に捉えなおしたら(そしてそういう風な金の使い方が出来たら)、そんなに気に病むこともないんじゃないかな。
 勿論欠点も沢山あるだろうけど、コミュニケーション手段としてはそんなに悪いもんじゃないかもしれないよ、金を使うって。