週末日記に見せかけたさる追悼文への考察

 日曜日、世界激場の当日に配付するパンフレットの印刷のため、赤坂のKinko'sへ。
 パンフレットといっても、自分で言うのも何だが結構手間はかかっている。
 このパンフレットには、今までの世界激場の歩みと、実行委員3名+世界激場にゆかりのある紙屋高雪さんが書いた「追悼文」が掲載されている(。
 正直パッと見「追悼文」にはなってない文章ばかりに見えるかもしれないが、深い所ではそれぞれがそれぞれにとって大切な何かを「弔っている」文になっている、と私は勝手に思っている。
 結果パンフレットは16ページの小冊子になった。ほとんどミニ同人誌の風情である。
 これを貰いに来るだけでも足を運ぶ価値があるのでは、というのはさすがに冗談だが(笑)、来て下さる方へのいい「おみやげ」にはなってるかなあと思っています。

世界激場3」Worldwide-Passionate Theater III 縁起でもないことをしようか?
日時:2012年9月2日(日) 18:00開場 18:30開演
会場:art space tetra (福岡市博多区須崎町 2-15 tel/fax 092-262-6560) 
料金:1,500円(+1 drink order)
予約・お問合せ:sekai_gekijou@yahoo.co.jp
主催:世界激場実行委員会

 是非おいで下さいませ☆。

 ところで、パッと見追悼文に見えない追悼文、と聞いて、私が思い出すのは夏目漱石の「坊っちゃん」である。
 子供の頃、「坊っちゃん」を読んで、面白い話なのに何か腑に落ちないと思ったことはありませんか。
 私はあります。例えば、あれほど痛快な物語なのに、何で最後が清が亡くなった話で終わるのだろうとか、そもそも何で「坊っちゃん」という題なのか。
 例えば、文芸評論家の斉藤美奈子さんは次のように説明している。

 〈清(きよ)のことを話すのを忘れていた〉と前置きして彼が最後に語るのは、終生「おれ」の味方だったばあやの清のことである。〈死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めてください。お墓の中で坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと言った。だから清の墓は小(こ)日向(びなた)の養源寺にある〉
 そう、彼を「坊っちゃん」と呼んだのは清だった。亡き清だけだったのである。それを念頭に読み直すと、痛快な勧善懲悪劇という『坊っちゃん』のイメージは修正を迫られる。『坊っちゃん』は一度は書きかけて挫折した清への長い手紙、あるいは追悼だったのではないか……。大好きなばあやの前で懸命に虚勢を張る男の子、の像が浮かび上がってくる。
〈親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている〉。冒頭の一文で、私たちは「おれ」を快活な熱血漢と思いこんできた。が、近年の文学研究では『坊っちゃん』は暗さを秘めた敗者の文学とする見方がむしろ主流だ。「おれ」にとってのマドンナは清だった。だから小説は松山ではなく、東京の墓の話で終わるのである。
 (「読売新聞 名作うしろ読み」より)

 なるほど、清への追悼と読めば、結末がああなっているのも、タイトルが「坊っちゃん」なのも説明がつく。
 ただ私は、そこにもう一つだけ付け加えたい。
 「坊っちゃん」は清への追悼であるのと同時に、「かつての『坊っちゃん』」である昔の主人公自身への追悼のようにも私には思えるのだ。
 主人公を「坊っちゃん」と呼んだのは清だけだったが、親兄弟にも疎んじられ<到底人に好かれる性でない>主人公は清の存在によってのみ「坊っちゃん」でいられる事が出来たとも言える。
 その清が亡くなってから主人公は、自分を「坊っちゃん」にしてくれていた清の存在がいかに大きかったかに改めて気付いたに違いない。
 清が亡くなってからしばらく経った後、縁側か何かで昔の事を思い出しているうちに「ああそうか!俺は清のおかげで『坊っちゃん』でいられたのだった。そしてその日々はもう、終わってしまったのだ」と慨嘆する主人公の姿が目に浮かぶようだ。
 だからこの物語、題は「坊っちゃん」なのだが、私には「『坊っちゃん』だった」という風に読めるのだ。清が亡くなった事で、「坊っちゃん」もまたこの世からいなくなり、田舎教師から街鉄の技手に転職した主人公は「大人」に変わったのである。