ユートピアンを気取って(選挙編)

 お待たせしました(?)。
 以前本コラムで予告したとおり、「ユートピアンを気取って」 の選挙編を掲載します。
 書いてみたら非常に長くなってしまいました(いつもの事ですが、いつもにも増して)。

 まず最初に断っておくと、本稿において特定の政党や候補者を推薦したり、またはディスってたりする事はありませんので(それやったら公職なんちゃらに引っかかるんですかね?良く分かりませんが)、あしからず。
 それではお読み下さい。

 選挙戦がスタートしましたので、ここ数日ニュース映像や街頭などで、各党の党首や候補者などの演説をよく目にします。
 主張はもちろん、党や候補者によって異なります(中には「他のあの党とどう違うの?」と言いたくなるものもありますが)。

 ただ一つだけ、共通している事があるように思います。
 それはどの党首・候補者とも(景気対策原発問題・TPPなど)「我々が直面している喫緊の問題に関して」「私(我が党)なら必ず」「すぐに(あるいはある一定期間の後に)」「何とかできる」と謳っている事です。
 そんな事当たり前じゃないか、って?
 しかし、変ではないですか?
 と言うのも、ここ十数年もの間(もっとか?)、色んな「喫緊の問題」が挙げられてきましたが、それらを「何とか出来た」政党や内閣など、存在しなかったではないですか。
 大抵の場合公約というのは守られぬまま、次から次へと短命な内閣が変わっていくだけだったではないですか。
 恐らく2000年代以降、一番「言ってる事を実現できた」内閣は小泉内閣だと思いますが(短命ではなかったですしね)、これはどちらかと言うと「実現した事によって問題が解決した」事より「実現した事によってかえって事態が悪化した」事が多いように思えますので、これはやはり「何とか出来た」うちには入らないだろうと思います。他は推して知るべし。
 そういう事が長きに渡って繰り返されていったという事は、「我々が直面している喫緊の問題に関して必ず何とかできる」政党や政治家など存在しない、少なくともそんな1回の選挙で変わるものではない、と考えるのが自然ではありますまいか。
 そう考えると、ほとんどの政党や政治家が言い募っている事は、まったくの虚偽である、という事が出来ます。

 とは言え、政党や政治家ばかりを責めるのは少々アンフェアでしょう。
 何で政党や政治家がああいう出来もしない事ばかりを繰り返し述べているのかというのは、国民のニーズに合った事を言っているだけ、という側面もあると思うのです。
 つまり、国民は求めているのです。「喫緊の問題に関して」「誰かが」「すぐに」「何とかしてくれる」事を。
 こんな大変な事になっちゃって、どうしてくれるんだ。
 誰か今すぐ何とかしてくれよ。
 ニュースや、インタネットや、あるいはそれぞれのリアルな生活の中で、様々な政治的な問題を目にした時、私たちはついついこういう言葉を心の内に呟きます。
 これを呟いた事のない人はおそらくいないでしょう。
 でも、これって、何かによく似ていますね。
 そう、例えば、商品やサービスに対して利用者が「クレーム」を言う時の口ぶりにそっくりだったりします。
 いや、「クレーム」という行為自体は、私もとても大事な事だと思うのです。でなければ粗悪な商品やサービスが野放しになってしまいますから。
 でも、商品の購入やサービスの利用にあたって、「クレーム」しか言わない人、というのは、やはりしょうがない困った消費者、と位置づけられて終わり、ですよね。
 ましてや政治というのは商品を購入するのとは訳が違いますから。二十歳以上の人間は最低でも1票分の責任は政治に対してあるわけです。
 だとすれば、そうした「クレーマーマインド」のみで政治に対して臨むのは、みっともない事を差っ引いても、天に唾してるようなものでもあるのです。

 …ちょっと言い過ぎましたかね(いや、言い過ぎたとは思ってないのですが、別に国民の政治姿勢をモラリスティックに糾弾するつもりではなかったので)。
 「クレーマーマインド」で政治に関わる、そういうやり方もまあ「あり」としてみましょう。それで事態が良くなるのなら、それはそれでいいのかも知れません。
 けど前述したとおり、その方法は何の効果も上げていないのです。国民は相も変わらず政治家に「お客のクレームに速やかに対処する店員」のような態度を期待し、それが一番出来そうに見える(あくまで印象で、ですよ!)政治家や政党を選び、そしてものの見事に失敗する。このサイクルを繰り返しているわけです。
 政治家が無能だから?それはそうです(政治家の皆さんごめんなさい:笑)。でも「一国の政治は国民の民度以上でも以下でもない」という言い方も存在します。また、クレームを言い続けていく事で、政治家の質が向上する事は―ないとは言いませんが―少なくともドラスティックには無理でしょう。
 民度云々を抜きとしても、同じ発想で失敗を延々繰り返しているのならば、ここは発想を変えてみるというのもいいかもしれません。

 ところで、以前の「ユートピアンを気取って」の中で、ユートピアンの説明について(受売りですが)こんな風に書きました。
 
 左翼でも民主化でも何でもいいけど、ある政治運動(つうか革命運動かな)を行う者がいたとする。
 自分の理想を実現しようと彼は躍起になるんだけど、弾圧されたり、社会の無理解などで実現が出来ない。
 自分の理想が今日実現できない、明日も実現できない、あさってもその先もずっと、という状態が続いていく。その事実に彼は段々耐えられなくなる。その時彼はどうするか。
 記事によると、彼には3つの選択枝があるという。
 一つはテロ。
 もう一つは転向。
 そして最後の一つが、「ユートピアン」になる事だという。
 これには実例があるらしい。
 昔ロシアで革命運動があった頃。ナロードニキ、と呼ばれる一派があって、その中のテロリストがまあ、活動に失敗して投獄されたと。
 出所した後彼は、地方のヨーグルト売りとして一生を終えたそうだ。
 どういう事かと言うと、ヨーグルトは人の健康の為になる。それを売って人に食べさせる事は、「誰にとってもためになる『よい』事」となる。
 そういう「『よい』事」をずっと、無限に積み重ねていく果てに、自分の理想の達成を見据えて生きること。それが「ユートピアン」という選択肢なのだそうだ。

 これを今の私たちの状況に体よく当てはめてみます。
 「今までの制度をぶっ壊して新しい日本を作る!」とか息巻いている人の発想は、ある意味ではテロ的な発想だと思うんです。力ずくでもいいから性急な変革を志向するという事。魅力的かもしれませんが、危険が大きい事は否めません。
 転向というのは、まあこの場合は明確な政治思想があるわけではありませんから、変革をあきらめる、政治不信やニヒリズムに陥る、というのが近いかと思います(つうか、そもそも転向も何も、日本国民のデフォルトは政治への無関心でしょ?という話もあるのですが、それはまた別の話)。
 そして最後は、ユートピアンの発想です。
 ちょっとずつ、「『よい』事」を積み増し続ける事。果ての果ての達成を見据えて、今出来る事だけをやる事。そういった所になると思います。
 そしてこれは、先ほどの私が挙げた「喫緊の問題に関して」「誰かが」「すぐに」「何とかしてくれる」事を望む発想と、きれいに対になっているように見えます。

 ただこれには、非常に大きな問題があるのです。
 現実的に、そんな事を言う政党や候補者は存在しうるのか、という事です。
 そりゃそうですよね。「あんた達国民がまず何かを始めなきゃ何にも変わらないよ」と言ってるようなもんですから(笑)、そんな事を直裁に言っても票が集まるわけがないし、ただそれを言うだけでは(出来もしない約束を言い募るのとは)別の意味で無責任という事になる。
 そして私自身、政党や候補者がそういう事を言ったり、ユートピアン的である事というのはそんなに求めていないのです。つうか、ある程度彼らはリアリストでないと困ります。

 しかしどうでしょう、私たち(つうか私)がユートピアンであろうとする事を後押ししたり、励ましたり、或いはそこまで行かなくてもその価値を正当に認め、少なくとも邪魔をしない(笑)政党や候補者というのは、ある程度見極めが出来るのではありますまいか。
 それを見極める為には、勿論個々の政党や候補者の言ってる中身自体を吟味する事も大切です。ですが、正直なところ色んな計画をあれこれ並べられても、素人にはどれが一番良い計画なのか、どれが一番出来そうな事なのかなどは良く分からなかったりします。
 どちらかと言えば、掲げられる政策や計画、さらには演説などでの言い方(私は「どんな言い方だ?」主義者ですから:笑)の行間から、その党や候補者の「本当の意図」を汲み取っていく事が必要になるでしょう。
 また、その党や候補者がどれだけ「遠く」を見て話そうとしているか。ここも大事だと思います。
 殆どの場合、ユートピアンの行っている事は短期的には成果は出ません。一生涯、成果の出ないまま終わるということも(多く)あります。またそれがどんな成果が出るのかも、予測するのは困難です。
 そんな悠長で、不確実で、「すぐ利にならない」事の大切さを理解する為には、「今ここ」の問題に拘泥するばかりではない視点も持ち合わせておかなければいけないでしょう。「遠くを見る」というのはそういう事です。

 そして何よりもその前に、私(やあなた)にとって何が本当の理想か、何が本当の「あってほしい世の姿」か、を突き詰めて考えておく必要がある事は言うまでもありません。
 そういう意味では(こんな言い方はいけないかもしれませんが)、本当は、選挙などしている場合ではないのです。
 私も含めて世の多くの人は、その突き詰めが出来ていないように感じるのです。順序としては、それをしっかり突き詰めた後に、それをわずかでも実現する為の参政、という事になるはずですから、実の所、私たちはまだ「準備が出来ていない」のかもしれません。
 ただ、始まってしまったものは仕方がありません。この短い期間の間で、そこを少しでも突き詰めながら「少しでもましな」党や候補者を、探していくしかないのです。

 今回の(いや、それ以降もかな)選挙に対して、私はそういう態度で向き合おうと思っています。
 みなさんはどうでしょうか。恐らく私の考えとは全く異なっている事と思います。それでも、幸運を!