辻井喬さんの事

 既にご存知の方も多いと思うが、元セゾングループの総帥、堤清二氏こと作家・詩人の辻井喬さんが先日亡くなった。享年86歳。
 ご冥福を申し上げる。
 何で一介のノラ音楽屋がまったく縁もゆかりもない元経営者の追悼文を?と思われるかもしれない。けどそれにはわけがある。

 今から5年前、私はみねまいこさんという音楽家世界激場 というイヴェントを行った。
 世界激場は通常の音楽イヴェントから色んな意味で逸脱した、かつ時代に対して一定の批評性をもって捉えるようなイヴェントを目指していたのだけど(内容については上記のリンク先を参照されたし)、その1回目がちょうど終わって。
 で、次をどうするかという話をした際に、みねさんの方から「辻井喬を呼びたい」という話が出た。
 辻井喬?え~と誰だっけ。というのが最初の正直な感想。で、調べてみて、「セ、セゾンをやってた人!!??そりゃ無謀だろおい」とも、正直、思った(笑)。

 でも、とにかく実現に向けて努力しようという話になって、二人以外にも実行委員を加え、新たに「JIYU-KENKYU」なる勉強会を立ち上げた。
 これは当初辻井さんを呼ぶのにあたって、まず彼の著作を読んでそれについてディスカッションを(実行委員以外の人も自由に来てもらって)やってみよう、という事で始めたのだけど、これが結構難しくて。
 彼の著作のうち、いわゆる「文学」と呼ばれるものよりは社会や文化状況についての評論を主に対象にしたのだけど、まず内容が難しい。おまけに参加者が誰も読んでこない(笑)。で、読んでこない奴に限って好き勝手な事を言う(笑)。そんなわけで、なかなかまとめるのに苦労した事を覚えている。
 ただ、そこで彼の著作に触れた事や、参加者の方々とのいくつかのやりとりは、その後世の中の事を考えていく上でとても有意義なものだったと思っている。結局辻井さんを呼ぶ事はかなわなかったのだけど(けど実は、秘書の方に話を通してもらうまでは行ったのだが)…。

 辻井さんは本名の堤清二としてセゾンという企業グループを率いる中で、文化事業として西武劇場やセゾン美術館で前衛的な芸術や演劇の紹介に尽力したり、今で言う男女雇用機会均等のさきがけとなるような雇用形態をいち早く打ち出したり、パルコや無印良品といった先鋭的な企業を立ち上げたりと、独特の経営方針で70~80年代に華々しく活躍したという印象がある。
 その経営哲学には、若い頃の社会主義思想が深く影響していると思われる(一時期共産党員だったりしたそうだし)。
 社会主義思想というと、今日では(いや当時も、か)古臭かったりうさんくさく感じる向きもあると思うが、その後の歩みがどうであれ、あの世代の人で当時これにかぶれていた人は結構多いようだ。
 乱暴にまとめると、辻井さんにとって社会主義思想というのは、生まれ育ちや、性別や、所得水準などにかかわらず人は平等に扱われるべきだとか、庶民も(経済的のみならず、色んな意味で)豊かな生活を享受できるはずだといった考えに要約できるのではないかと思う。そして、経営者・堤清二としての様々なユニークな試みは、それを経済人の立場として実践しよう、といった事だったのだろう。
 その試みは全てが成功したとはいえないだろうし、バブル崩壊のあおりを受けてセゾンの活躍も終わってしまうのだが、後に活躍する優れた人材を多く輩出したり、80年代以降のユースカルチャー、サブカルチャーその他に多大な影響を与えた事は紛れもない事実だ。
 これは故人の思う所とは異なるかもしれないが、文学者・辻井喬の残した数々の小説や評論などよりも、彼の最高傑作はセゾングループだったのだろうなと思う。ちょうどウォルト・ディズニーの最高傑作が個々のアニメ作品ではなく、ディズニーランドであるのと同じような意味で。ただそれが成立するためにはただ経営者であるのみならず、資本主義社会への批評者としての辻井喬の存在が不可欠だったのだろうけど。

 経営者を退いてからは、評論や対談、「9条の会」等の色んな活動を通しての、民主主義の擁護者としての側面が印象に残る。生前最後の公的な発言は特定秘密保護法に反対する声明だったそうだ。そういう意味では、若い頃の理想を最後まで手放さなかった人生と言えるのだろう。敬服する。

 最後にこんな偶然を紹介してこの拙文を締めくくりたい。
 小学校の頃、ある年のお正月。私の眼はある1ページの新聞広告に釘付けになった。
 お正月の新聞広告というと、新年の幕開けを明るく彩るようなイメージが多い中で、その広告は異彩を放っていた。
 広告の前面には、犬とアヒルが仲良く並んでいる写真(ちょうど戌年だった)。そこに「別れたくないよ 離れたくないよ」とのキャッチコピー。
 そして、ペットとして飼われた犬が捨てられたり、虐待を受けたりする事、またどう考えても「自殺」としか思えない死に方をした犬のケースすらある事、そして犬(というかペット)と人間がうまく共存していくことについて考えてみる事を訴える長文が掲載されていた。
 正月早々なんちゅう暗い広告だ、とも子供心に思ったのだが、正月が過ぎても、1年が過ぎても、その印象は私の頭を離れる事がなかった。後年、自分も人間と他の生き物との関係性を考える機会がしばしばあったのだが、その時の「原点」の一つとして、この広告のイメージはあった。
 そして時は過ぎ、前述の世界激場の準備をしていた頃の事。私は市の図書館へ赴き、セゾン華やかりし頃の資料を物色していた。
 ちょうど私のいた所が新聞の縮小版が置いてあるコーナーだったので、「そういえばあの広告ってどんなだったかな」とふと思い立ち、当時実家で取っていた新聞の縮小版を探し、くだんの広告を発見した。
 二十数年ぶりに広告を眼にした途端、鳥肌が立った。
 小学生の頃の私は、広告をどこが出していたなんてまるで知らなかったのだけど、久し振りに見た広告の左には、「西武流通グループ」と記してあった。後の「セゾングループ」である。
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