2014年を送る

 本日で2014年も終了という事で、
 「2014年を送る」と題して、
 今年あった事を(公私共に)振り返ってみようと思います。

 5月から新しい場所で働き始めたのですが、
 以前と違い職場が都心にあるので、周囲に大型書店がいくつかあり、
 昼休みには大抵そこで立ち読みばかりしていました。
 大抵の場合、(お金がない事もあり)立ち読みだけで買わずに終わってしまうのですが、
 いくつかは最初に読んだ瞬間からグイグイ引き付けられて即買いしてしまう本もありました。
 その中で今年一番面白かった本は、赤坂真理さんの『愛と暴力の戦後とその後』という本。
 タイトルは難しめ、というかテーマも戦後(とそれ以前の近代)日本のありようを考察する、という「重い」ものですが、
 著者自身の個人的な体験や有名なマンガや社会風俗も多く盛り込んだ語り口は分かり易く、
 それにつられて読んでいるうちにふと気づくと「俺達の今いる世の中って、こんなところだったの・・・!?」と、まるで人さらいにあってポンと置き去りにされた見知らぬ場所のように今観ている景色を感じさせてしまう、かなりヤバい本だと思いました。
 それこそ立ち読みでもいいから、ジャイアン(あの『ドラえもん』のジャイアンです)をネタにした第3章と、オウム真理教についての第6章の最後、敬宮愛子についてのコメントだけでも読んで欲しい。特に後者。

 本はよく読んだ一方、音楽についてはいつになく新しいものをほとんど聴かなかった一年でした。
 理由はある意味簡単で、自分の音源製作がかなりディープな所に差し掛かっていたから。そういう時には他人のやってる事なんて構ってられなくなる(笑)。
 ただ、そういう個人的な事情とは別にしても、私の住む福岡市では天神のタワーレコードが大幅縮小されるなど(いや、移転後に行った際にそのあまりの凋落っぷりには正直びっくりしたよ。昔ビブレにあったサウンドヒロカネかと思ったもん)、
 少なくとも「音楽産業」的な場所における活況、という意味では質量共に結構惨憺たるありさまになっているのではないかと思われます。
 まあ私にとっては音楽産業の凋落などは大した心配の種ではないし、正直な所今まで音楽を大事にしてきたというよりないがしろにしてきた業界のように見えるのでその報いを今受けてると思えば当然の結果だろうと思うのですが。
 それに規模がどんどん小さくなっていく事はある意味「小商い」としての再生のチャンスともいえるしね。

 そういう趨勢は別にいいとしても、肝心の自分の作品作りもなかなかすんなり行かないのは困った事で、
 一応「来年前半のアルバムリリース予定」としているのですが、今のままではそれもどうも雲行きが怪しい(苦笑)。
 そんな中、今年はSOUNDCLOUD  上で2曲をリリース。
 7月にリリースした「カミナリマチ」 はいわゆるギターポップ、フォークロックを思わせる曲調、
 11月リリースの「WORLD PASSIONATE THEATRE 2014」 は2011年リリースの「世界激場のテーマ」をメロウなR&B風に改作、という感じで、
 比較的穏やかな作風の曲が続きましたが、
 いや、アルバムはこんなもんじゃないっすよ!まだまだキモになる曲をお披露目していませんからねえ(「WORLD~」はアルバム収録を見送る予定だし)。
 来年、アルバムリリース前にあと1~2曲くらいはネットにアップする予定ですので、お楽しみに!!

 とまあ、ミュージシャンなのでおとなしく先ほどのような自分の音楽活動だの告知だのだけをネットではやってりゃあいいものを、
 なにぶん私は聡文三なもので(笑)、そういう事にはならず、特にtwitter  ではポリティカルな話や時事問題に言及した言葉やRTがほとんどを占めた2014年でした。
 ま、ここ数年はそういう傾向が強まっていたのですが、特に今年は後半に入って音源作成中心となっていって特に皆さんに告知する事がほとんどなくなっていったという事と、
 現在の職場ではtwitter以外のネット(本コラムや他のSNSなど)が使えない(規制対象なんです)ためもあって、
 いきおいtwitterのTLに対するリアクションがほとんどになっていったのです。
 私はインタネット、特にこういうその場その場のリアクション的な書き込みについては「小人閑居してtwitterをなす」というか(笑)、
 基本的にやるべき事が出来ていない際の手すさびに過ぎず、さして重要なものではない、と思っているので、
 本当はああした事はなるべく書かないですむなら越した事はない、と思っています。
 それでもどうしても書かざるを得なかった事例も今年は多かったのですが。

 その「書かざるを得なかった事例」の中には先の衆議院選挙も含まれるのですが、
 結果についての論評などをする気は、ここではありません(近い事はそれこそtwitterでやったし)。
 ただ今回の選挙に限らずここ数年特に思うのですが、
 昨今は選挙のたびに投票率の低さが話題になり、またそうした傾向を懸念する言葉も色んな場所で散見されるのですが、
 そして私もそう思うというか「この期に及んで選挙にも行かねぇ奴は公民権を剥奪してしまえ」とかついつい思っちゃうのですが(笑)、
 逆に選挙に行ってりゃいいのかというと、そういうものでもないだろうと思います。
 さっき公民権が云々という不穏当な発言をしましたけれども、
 そもそも私達が普段の生活の中で「公民」として振る舞ったり、ものを考える機会というのは、実はほとんどないわけです(言っておくけど会社に行って働いてるなんて事は「公民」としての振る舞いでも何でもないですからね!)。
 私たちは朝起きてから夜寝るまで、ほぼ100%に近い時間を「純粋に私利を追及したり、私利のために他人や他の団体の利益追求の肩代わりや手伝いをする」時間に費やしているわけですが、
 そうした状態でものを考えたり、投票だの納税だの教育だの徴兵だの(あ、口がすべった:笑)といった「国民の義務」を果たしたところで、あまり大した成果にはならない気がします。
 これから投票に行く前に私達がすべき事というのは、自分達の毎日の日常の時間に「公民として考え、振る舞う時間」の余地を与える、あるいは私的な行動の中にもいくばくかのパーセンテージで「公民の行動としての要素」を盛り込んでいく事なのではないか、
 そういう風にこの頃はよく思います。

 一つ念のため。公民というのは必ずしも「国民」と同じ意味ではありません。国家が必ずしもいわゆる「public」を代表しないのと同じように。そこのところは慎重にならないといけません(そこを間違うと戦時中の翼賛体制みたいな事になってしまいますし)。

 久し振りのコラムなので、非常に長くなってしまいました。
 もう暮れも押し迫りましたので、この辺でご挨拶と参りましょう。

 2014年、タガヒルレコーヅの活動を色んな形で応援してくださった皆様、
 誠にありがとうございました!!!
 来年もまた、TARJEELINGのアルバムリリースをはじめ、
 様々な計画を考えていますので、
 どうか引き続き応援よろしくお願いいたします。
 そして、大変な時代ですが、
 ひとまず良いお年をお迎え下さい!!!

2014年 師走 大晦日