闇に掲げる黒い旗

 昨日、VOODOO LOUNGEにて行われました「ヨコチンロックカーニバル」にて、出演のFOLK ENOUGH先生から、「Black Frug」という楽曲の演奏前に演説をして、演奏中に歌詞カードを記載した紙を使ったパフォーマンスをしてほしいとご依頼を受けました。

FOLK ENOUGH「Black Frug」


 私はチンロックに出演するのは初めてで、イヴェントの性質上、こうした「お祭り騒ぎに水を差しかねない」内容の講演を行う事に若干の懸念を感じていたのですが、それは全くの杞憂に終わりました。
 あまりに盛り上がり過ぎて、人生初のクラウドサーフというものも体験してしまいました(笑)。
 チンロックの聴講生諸君、オファーして頂いたFOLK ENOUGHの先生方、主催者様および会場スタッフの皆様、誠にありがとうございました!!

 今回の講演に際して準備した原稿を下に掲載いたします。実際にはこれに多少のアドリブを加えてはおりますが。
 演説というよりは「詩」に近い感じになっておりますが(「演説調」で原稿が書けなかったのです)、まあそこはご容赦を。
 「闇に掲げる黒い旗」という題です。
 それではご笑覧ください。

「旗」というものが実は苦手だ。
どこかの国の旗にせよ、
スポーツチームの旗にせよ、
掲げられてるのを観るたびに
伏し目がちになってしまう自分がいる。

「旗」は人を集めもするが、
人を分け隔てするものでもある。
「旗」の下に集う人達が、
その「旗」の下にいない人に思いを馳せる事は、
それがどんな旗であれ、難しい。

選挙になると方々で、
「旗」を掲げる人に出くわす。
何か人気がありそうだとか、
世渡りのためにまあ仕方なくとか、
そういう理由で口角泡を飛ばし、
そもそも自分が何を掲げているかすら
分かっていないような人を見るたびに、
一生涯 「旗」なんて掲げるのは御免だと感じる。

しかし、
人が自分自身の
かけがえのなさを芯から自覚し、
そこを礎に世の中に出て行こうとする時、
すなわち、「個人」として生きていこうとする時、
それは既にして一つの「旗」を
掲げているとは云えまいか。

人は「旗」を掲げる事なしにはまともに生きてはいけない。
とも言える。

思うに、
「旗」を掲げる事自体は、
実はさして重要な事ではない。
「旗」を掲げるその前に、
掲げるものについて自分の頭で考え抜く事。
「旗」を掲げたその後に、
その間違いについて考え続ける事。
その考えを基に、
「旗」のあるべき姿を更新し続けていく事。
そして、
自分とは異なる色や形の「旗」が掲げられているのを見つけた時、
その隣に並び立ち、
お互いの似ている所や違う所を面白がる事。
諸君の「旗」が掲げるに値するものになるかどうかは、
その一連のプロセス、
その繰り返しで決まってゆく。

どんな「旗」を掲げるのかは、
諸君の自由だ。
ただ、どうしても一つ上げろと問われれば、
闇夜に黒い旗を掲げる事をお勧めしたい。
光のない場所で何かを見ようとする意志と、
一面の漆黒から価値あるものを見出せる力を、
胸のうちに倦まず育てて来たものだけが観ることが出来る、
そういう「旗」。

さて、そろそろ宴に戻る時間だ。
そういう時間においても、
いやそういう時間こそ、
「旗」を掲げる機縁たりえる。
諸君の「旗」を楽しみにしている。