(久々の)週末日記

・4/15(金)
 終業後、結婚記念日の食事会に出かける。
 本当は結婚記念日は14日なのだが、あいにくこの日は都合がつかなかったのだ。
 当初予定していた店まで、徒歩で20分ほどかけておもむいたのだが、行ってみたら、「本日20:30より○○ライヴ」などという文字が。
 そういえば最近不定期にライヴをやるようになったと風の噂に聞いていたが、迂闊にも下調べをしていなかったのでこの日とは思わなかった。
 故に急遽違う店を探す。幸い歩いて5分くらいの所で同じ傾向の店を見つけたので、そこに決めた。なかなか美味しかったので怪我の功名といったところ。
 え?ライヴ観ながら食べりゃ良かったじゃんって?いやあ、呑み中心ならともかく、がっつり食べたいモードの時にライヴはちょっとご遠慮つかまつります。演奏者の方も目の前で(狭い店なのです)バクバク食われてもやりにくかろうし。
 
・4/16(土)
 音源のマスタリング。あと少しである。
 正直こんなに時間がかかるとは思わなかった。
 私は「こだわって作りました」なんて物言いはあんまり好きじゃないのだが、今回ばかりは思いっ切り「こだわって」しまった。
 「こだわる」というのは言替えると「執着する」「固執する」という事なので、本来いい意味ではないのだというのを聞いた事がある。
 本当はこんなに「こだわらず」、サクッといいのが作れたら一番いいんだけど、まあ力量のなさゆえに、仕方がない。
 
・4/17(日)
 昨日録画しておいたTV番組「マイケル・サンデル緊急特別講義」を観る(家人が観たがってた「のだめカンタービレ 最終楽章」と被っちゃったからね:笑)。先の震災を受けての特別編
 最初特別ゲストに虎舞竜の人とかが出て来たのでどうなる事かと思ったが(笑)、番組としてはちゃんとまとまっていたと思う。
 だがやはり「ハーバード白熱教室」には比べるべくもないなあ。いやこれはゲストの質がどうとかという問題じゃなく、震災後の日本人の行動云々について、あえてサンデル教授を出す必然性があまり感じられなかったからなんだけど。
 やっぱり「ハーバード~」の画期性というのは、我々が当たり前に「正義」「道徳的」と思っている事の正当性を簡単な問いと「しゃべり場」みたいな議論で切り崩していって、「正義」や「道徳」を微積分していくようなスリリングさにあったと思うんだけど、今回みたいなテーマではそんな事を望むべくもなく、といった感じだし。
 あと、ミクシィのコミュでもどなたかが書いていたけど、震災での日本人の行動をちょっと褒めすぎではないかとは思った。
 勿論、略奪などの無法に走らず、秩序だった行動をとっていたというのは震災時の民の行動として素晴らしい事には違いないが、そういう事が出来る、という事の両面性についてあまりちゃんとした議論がなされていなかった。
 例えば東大の院生の方が、「(原発作業員が危険な作業を請け負う事について)行きたくない、という権利を持っているのは分かっているがそう言わせない何かが社会にある」という鋭い指摘をしていたが、そういった事と「皆が申し合わせたように秩序だった行動を取れる」という事は無関係ではないのではないか。
 「それが日本人だよ」という言い方も出来るだろうが、「そういった我々」についてもう少し相対化して考えないと思考停止に陥ってしまうだろうし、ましてや外国人が褒めそやすのを見て自画自賛しても何も見えてこないだろう。
 サンデル先生は鋭い人だけど、いくらなんでも「日本人のそういった感じ」やその功罪については理解できないと思う(アメリカ人だしね)。これは、日本人がちゃんとやらなければいけない事なのだ。
 
 おっといけない。軽い感じでまとめるつもりが、「馬の脚」シリーズみたいな事になってしまった。
 でもこの日はDVD観た後、何だかやたら疲れてしまって半日は寝てたんだよな。時間を無駄にしてしまった…。