不定期連載 「馬の脚」 第4回「『正しさ』にうつむくあなたへ」

 今この国では、「正しい事」が蔓延している。いや正確に言うと「正しさ」の内実を求めない思考停止と同調圧力が蔓延している。
 具体的にどの事を指すのかは言わずもがなだと思うが、例をいくつか挙げておくと、買いだめを控えろだの節電しろだのを何人ものタレントやスポーツ選手に繰り返し言わせる公共CMだったり、正しい情報を知れば正しい行動が出来ますなどと、冷静に考えたらんなわきゃねえだろな事を「善意で」ツイートする人たちだったりする。
 率直に言って、こんな状況は気持ち悪いと思う。日頃から他人の自由を侵害しっぱなしのような御仁(先ごろ4選を果たしたどっかの知事とか)が言うのはまあ分かると言うか、相変わらずアホだなとしか思わんけど、日頃割と穏健な人とか、何も考えてなさそうな人(笑)とかが「もう一度ニッポンを元気に!」とか息巻いてるケースが圧倒的に多いので。
 
 何人かの人は、こうした状況に危機を感じている。
 例えば高橋源一郎氏は、自らが教える学校で震災のため卒業式が出来なかった(つうか、大学側が自粛した)学生へ、twitterで↓のような「祝辞」を述べた。
高橋源一郎「午前0時の小説ラジオ」より「震災で卒業式をできなかった学生への祝辞」
http://togetter.com/li/114133
 私は氏の主張している事におおむね賛同する。
 ただ、危ういなとも思う。
 祝辞の中で氏は、自らが高額の寄付をする事について、「わたしはただ寄付をするだけで、偶然、それが、現在の「正しさ」に一致しているだけなのです」と述べているが、何も知らない人には、高橋氏の行動と、「正しい」から寄付をする人との区別はつかないと思う。
 そして、「あ、高橋さんも『正しい』人なんだね」と思われてしまうだろう。更にもしその人が「正しさ」が好きな人なら、「あなたも私の味方なんですね!一緒に頑張りましょう!!」などととんでもない誤解をしてしまったりするかもしれない。
 そんな人たちに対し「いや、それは偶然なんだよ。君たちと俺は違う。一緒にすんなよ」といた言葉で一線を画す事は、やはり出来ないと思う。その差異を理解できるほど敏感な人は最初から「正しさ」に盲目的に同調したりしないものだろうから。
 これで「正しい」とされている事を別にやろうとも何とも思ってないのなら、話はもっと簡単なのだけど。
 戦前に起こった言論統制って、実際にはこんな感じだったのかなと思う。積極的に「正しさ」を推し進める人も、やむにやまれず「正しさ」に行った人も、同調圧力に屈した人も、全部「一緒くた」扱い、みたいな。
 
 それにしても、と思う。いくら未曾有の災害が起こったとは言え、こうも易々と「正しくない事をする自由」「正しさを疑う自由」を多くの人が手放すとはね。
 今は「非常時」なので仕方がない、「平時」に戻ればまた「正しくない」事もできるようになるよ、という考え方を私は信じない。
 いや表面的に見ればそれは確かにそうだと思うけど、高橋氏も指摘しているように、こうした事というのは繰り返し形を変えて行われてきた事でしょう。見方を変えれば「一度事あらば、皆を挙げて『正しさ』に与するぞ。疑うものは敵なり」みたいな精神構造って、非常時だろうと平時だろうとずーっと我々の中に伏流してきたって事じゃん。
 それを即根治するっちゅうのは、まあさすがに無理だとは思う。思うのだが、もうちょっと何とか、絶えず「正しさ」発動装置を抱えて生きているような息苦しさを軽減できないものかとも切実に思うのだ。
 言うまでもないことだが、私の言動が「正しさ」に抑圧される場合と、私の言動が「正しさ」に加担して誰かを抑圧する場合、この両方について考えておかないといけない(特に後者。往々にして自分が「抑圧者」となる事は気づかないものだから)。
 正直言って、非常に面倒くさい。つうか、答えが出る問題かどうかも定かでない。
 また、何の葛藤もなく「正しさ」に流されてよしとする人にはこんな事は決してお勧めしない。しんどいだけだから(笑)。
 だが、少なくとも私はそれをやらなければダメなのだ。上手く言えないけど、それを放棄する事は自分に対する裏切りであり、子供だった頃の自分に対する裏切りであり、もっと言うなら「どこかにいるかもしれない、かつての自分みたいな子供」への裏切りとなる気がするからだ。
 で、もし似たような思いを抱えている人には、どうか流されないでくれと言いたい。いやたとえ流されていくとしても、時代は変わったからとか、そんな事考えても被災者は助からないからとか、そういう体のいい言葉で流される事を正当化しないで欲しい。かつての君を、かつての君のようなこれからの子供をどうか、裏切らないで欲しい。
 
 以上、相当グダグダな文(ちゅうかね、それ以前に何言っとるのかさっぱり分からんね:笑)だが、なにとぞお許しを。