映画「ブタがいた教室」を観た

 ゴールデンウィーク中にテレビでやっていた「ブタがいた教室」を録画していたのだが、先週末やっと観る事が出来た。
 内容についてはご存知の方も多いかもしれない。ある小学校で新任教師が、食べる事を前提に受け持ちのクラスでブタを飼育させた実話を元にしたお話である。

 実話については担任教師の著書があったり、当時ドキュメンタリィ番組も放送されていたそうなのだが、そちらは未見である。
 故にとりあえず、ここではあくまで映画内で語られた事にもとづいて書く事とする。

 =ネタバレがあります=

 あらすじはこうだ。
 6年生の担任になった新任教師が、子ブタを教室に連れてきて、「命の大切さを知る授業」として、1年間このブタをクラスで飼育して、卒業の際に食べる事を提案する。
 生徒たちはブタの可愛らしさにたちまち魅了され飼う事になる。
 飼育の大変さや他のクラスとの兼ね合い、保護者からの圧力などの問題を乗り越えて、クラスはブタを飼育し続け、ブタは大きくなる。
 さて卒業間近になって、先生の提案でクラスで話し合いがもたれる。「Pちゃん(ブタの名前)を食べるべきか、食べざるべきか」についてだ。
 食べる事を前提に飼い始めたとは言え、生徒は名前までつけてPちゃんを可愛がり、Pちゃんも子供たちになついている。そんなPちゃんを殺して食べる、で本当にいいのか。逆に「かわいそうだから殺さない」というのは責任の取り方としてどうなのか。
 子供たちの間で激論が交わされた後、結局多数決を2回取っても結論は出ない。最後に担任が投じた一票は―、という感じだ。

 この授業そのものや、映画を通して示される生命倫理的なテーマ自体に関しては、私は今日の社会を考える上ではそれなりに重要な問題だと思っている。
 だからこそこの映画を観ようと思ったのだが、結論から言えばあまりいい気分にはなれなかった。
 これは勿論教師が下した結論が私の考えていたものと違うとか、(結局教師はPちゃんを殺すという決断をするのだが)Pちゃんがかわいそうとかいう理由ではなく、映画自体にも(劇中で)教師が取った行動に対しても、どうにも詰めの甘さを感じたからである。

 映画の出来に関しては、先にいい所を挙げておこう。
 前述した学級会での生徒たちの討論のシーンは、とてもいい。
 聞けばこのシーンに関しては台本を用意せず子役達自身の言葉で語らせたそうだが、それが効を奏したか非常に臨場感がある場面になっているし、子供たちの発言も(どちらの陣営にも)的を得た意見が多い。観客に思わずこの問題に関して考えさせる事に成功していると思う。
 そういう意味では、このシーンだけでもこの映画を観る価値はあったのかもしれない。
 しかしなあ。その後がどうにも、なのだ。
 前述したとおり、結局苦渋の末担任はPちゃんを食肉センターに送る決断を下す。下すのだが、なぜその結論を下すに至ったかの理由については、実は明確な説明がない。生徒にもないし、(モノローグなどで)観客にも伝わる作りにはなっていない。
 これだけクラスを二分した問題の決着の付け方としては、これはいただけないだろう。
 まあ、実際でも教師は説明をしなかったのかもしれないので(もしそうだとしたらそれはそれで問題だが)、これは必ずしも演出の問題とは言えない。
 が、終盤食肉センターに送られるPちゃんと生徒がお別れするシーンで、学校を出るPちゃんを乗せたトラックをクラス全員が追いかける所をスローにしていかにもセンチメンタルなピアノ曲をおっかぶせてきやがった時には心底腹が立った。
 何だかんだ言うても、クラスはPちゃんを殺す事に結局加担した事になるわけじゃないですか。その時の子供たちの心情というのは、非常に察して余りあるものがあるわけだし、単純な悲しいとかかわいそうとかいう所に回収されないものがあると思うのですよ。
 あんな演出しやがったら、そういった事が全部台無しになる。生徒たち自身の葛藤が表現されないのは勿論、観客に向かって投げかけられた問題提起も、「なんだい散々考えさせたあげく結局このオチかい」と思わせてしまう。これは明らかな失敗だろう。
 生徒を演じるだけでなく、自分の言葉で議論をした子役達はこの映画から色々なものを受け取ったと思うが、肝腎の演出家がこの映画の意義を分かってねぇんじゃないかと疑ってしまった。

 あと映画の本筋とは関係ないが、生徒の中で転校生の女の子を割と前に出していたけれど、そうする必要はあまり感じられなかったな。というか前に出すなら出すでもっとはっきり中心に押し出すべきだったろう。

 最後に映画の出来は別にして、クラスが出した結論(つうか実質的には担任教師の結論だね)について私の意見を軽く述べておくと、私は、この状況では何も殺さずとも良かったのではと思っている。
 人間は他の生き物に対して、時には食用他の理由で殺す事もあれば、一方で家族の一員や仲間として厚遇もする(同じ種類の生物に対しても、場合によっては2つの振る舞いを使い分ける)。
 この2つを使い分けるにあたっての統一的な基準というのを人類は今だ得ていないのだけど、私は現時点では、その個人や集団、民族と対象となる生き物とのRelationship(関係性)と、殺す必然性(無駄死にになっていないかどうか、どうしても殺さざるを得ないのか、という問題ですね)を絶えず念頭において、その都度決定を下すしかない、と思っている。
 そういう観点に立つと、「食べる前提で飼ったブタ」から「クラスの一員」になった時点で、子供たちとPちゃんのRelationshipは既に変わってしまっており、その意味では殺すのはRelationshipと矛盾する。
 また、映画の中では3年生のクラスが卒業後のPちゃんの引き受けに手を挙げており(3年生の担任もOKを出している)、殺さなければ引き受け手がない、というわけでもない(ちゃんと世話できるのかという不安はあろうが)。
 正直責任逃れの謗りはまぬがれないかもしれない(とは言えその非難は生徒にじゃなく教師に向けられるべきだろう)が、責任云々などあずかり知らぬ「クラスの仲間」を死に追いやるよりは、生き延びさせる為にその謗りを甘んじて受けた方がいくらかはマシなのではないかと思っている。

 とは言え、これは映画しか観ていない上での感想なので、実際はどうだったか分からない。映画では語られなかった、殺さざるを得ないのっぴきならない状況だったのかもしれないし。
 ただあくまで映画を観た印象では、この決断にはあまり納得できるものを感じなかった、という事だ。その辺はご理解いただきたい。