映画『選挙2』を観て(&その後の想田監督のトークイベントに参加して)考えた事

 昨日、KBCシネマに話題の映画『選挙2』を観に行った。
 実はこの日は監督である想田和弘さんの舞台あいさつも終演後あり、会場を変えて(世界激場でお世話になったart space tetraです)トークイベントもあるという「想田ちゃん祭り」状態(笑)。
 ええ、全部行きましたとも。

 かく言う私、実は『選挙』は未見(すみません)。だが、この映画は当時いくつかのニュースで「ここがヘンだよ日本の選挙」的な特集に使われていたので、それで大体のあらましは知っていた。
 前作では自民党から出馬して選挙活動特有のわけの分からないしきたりに翻弄されっぱなしだった(らしい)主人公の山さんが、原発に対する政府他の対応に怒りを覚え、今度は完全無所属で立候補し、選挙運動を行うさまを記録した映画である。
 なのだが。この山さんという男、とにかく「選挙運動」なるものをしない。
 公費援助を断り、選挙カー使わない、選挙事務所も借りない、のはいいとしても、街頭演説しない、市民の対話もしない(いや、手伝いに来た友人や出会った知り合いとかには結構熱く主張してるんですけどね)、各方面へのあいさつ回りもしないというないないづくし、すにてんてんすってんてんな選挙運動。
 で、やる事はというと、(政策・主張がビッチリ書かれた)ポスター貼って、車で選挙区回ってそのポスターがはがれてるのを直して(またよくはがれるんだよこのポスターが)、選挙戦の終盤ギリギリになってハガキ出して(しかもあんまりギリギリすぎたので用意した分全部出せてない:笑)、最終日にようやく防護服のコスプレして駅の裏で街頭演説やるくらい。
 確かにこのやり方、金はかからない。かからないのだが、あまりといえば地味すぎるその運動っぷりに「あの~、本当に受かる気あります?」とか思わず突っ込みたくなるのが人情というものだろう。

 「普通の」選挙運動の基準で見れば、山さんのやり方と言うのは非常に突飛に思えたり、「やる気あんのか!」と言いたくなる感じに映る。
 だが私、この山さんの様子を眺めていて、妙な既視感を覚えたのだ。

 例えばこういうストーリーを思いついてみよう。
 かつてメジャーレーベルからデビューしたミュージシャンがいる。その頃はメジャーの体質とかよく分かってなくて、自分の音楽を世に出したい一心で一番大きな所と契約したのはいいんだけど、じきに肌が合わないとわかって、それ以前に会社側からシングル3枚くらい出した時点で売れないと判断されてクビを言い渡される(笑)。
 その後も音楽への情熱覚めやらず、かと言って音楽の良し悪しよりも商業性ばかり重視する業界に戻る気もないので、完全インディペンデントで音楽を続ける事を決意。自分でやるんだから意に染まない事はやりたくないし、メジャーみたいにお金を沢山かけられるわけでもない。故にフライヤーも自分で作る。ライヴ会場も自分で押さえる。納得いく作品を作ろうとプライヴェートスタジオを作ってそこで録音する―、っておいおいこういう奴結構おるぞ。知り合いにもおるし、もっと有名な人とかでも昨今はメジャーに頼らない独立型に移行する人が増えていると聞く(ま、今はメジャーもヤバくなっててそういう人達を抱えきれない、というのが大きいんだけどさ)。
 山さんのやっている事は、この政治家版と考えたら非常に分かりやすいし、納得も行く。正直もっと動けよという感じは否めないし、ついでに言えば掲げていた政策もものすごくオリジナリティがあるとかではないんだけど(でも原発問題を選挙の争点に掲げたのは山さんだけなんだって。ちなみに山さんが闘った川崎市議選が行われたのは2011年4月)、少なくとも党とか、業界団体とか、市民運動とか、その他諸々の「しがらみ」から山さんはスルッと抜け出てしまっている(少なくともそうであろうとしている)。
 なので山さんの一連の行動、笑える所も「何だかなあ」と思うところも沢山あるけど、私は何か他人事だとは思えなかった。山さんのおかしみや空回りっぷりは、政治家や音楽家に限らず「この国でインディペンデントであろうとする」時、必ず付きまとって来るものに思えるからだ。

 山さんをインディー音楽家になぞらえるとするなら、他の候補者はさしずめメジャーレーベル所属のアーティスト様、またはその予備軍といった感じになる。
 彼らは「メジャーのしきたり」に則って「普通の」選挙をやるわけだけど、その「普通の」選挙運動というのはみなさんご存知の通り「名前連呼・ひたすら頭下げる・ポスターに具体的な政策書かない・何故か手袋にタスキがけ・候補者同士のディベートは事実上ご法度」というものだ。
 私は日本の選挙というものが世界的に見ていかに奇異なスタイルで云々、と言う論調で槍玉に挙げる気にはそれほどならない。
 だけど、このやり方というのは、音楽で言えば「曲を聴かせずに顔や名前や情に訴えて買ってもらおうとする」のと同じようなもので、選挙の、政治の本来のあり方というものとかけ離れている事は言うまでもない。いや、確かに現実の音楽の世界でもメジャーではほとんどそれとおんなじような事やられてるけどさ(苦笑)。

 他の候補者がこの「しきたり」をどう思っているのかを伺わせる面白い場面がある。
 ある自民党候補の選挙運動の様子を撮影中、運動員&本人に撮影の中止を要求されるのだ。
 もちろん、選挙運動中の候補者を撮影する事は法的に全く問題がないし、逆に中止を強制する事は表現・報道の自由に抵触しかねない。想田監督もそう主張し撮影を続行するのだが、「本人がイヤだって言ってるのに何故撮るんですか?社会人としておかしいって分かりますよね?」などと繰り返して撮影を認めようとしない(でもその様子も撮られてる:笑)。
 これについて、精神科医斉藤環さんがパンフレットに寄せた解説で「実は保守系の政治家こそがああした選挙のあり方を一番恥ずかしがってるのではないか」という実に鋭い指摘をされていたが、確かにあれを正しいと思って堂々とやっていればああいう対応にはならないわけで、少なくともあの「しきたり」が多くの候補者達の本意でない、という事は確かに感じさせる。
 恥ずかしいならやめればいいじゃねぇか、と普通に考えたら思うのだが、そういうわけにはいかないんだよね。何故なら彼らは、本質的にディペンデントだから。それは所属政党や支援団体といった事のみならず、もっと大きな「空気」のようなものに、ね。

 何やらまとまりのない(いつもだ)文章になってしまったが、私はこの映画、観る事を強くおすすめする。
 特に、音楽やっててもアートやってても普通に働いてても何でもいいけど、政治の事はさっぱりわっかりませ~ん、けど何か今の空気、おかしな感じがします、みたいな人には是非。
 何故なら、ここで語られている事は、あなたが音楽や、アートや、労働の現場で今直面していたり、将来直面するであろう事と非常によく似ているかもしれないからだ。


 ところで、終演後の舞台挨拶&tetraで行われたトークイベントで想田監督に初めてお目にかかったのだが、twitter他での舌鋒鋭い発言などから「頭はいいけど結構めんどくさい人なんかなあ」と勝手に想像していたのだけど(ごめんなさい)、実際には「快活な熱血青年」といった風情の非常に好感の持てるキャラの方でした。まぁ千代田区での上映会をめぐるいきさつなんかは、「ある種」の人々にとっては「めんどくさい奴」になるんでしょうけどね(笑)。
 トークイベントでは勿論今度の参院選改憲問題、その他撮影時の裏話的ところ(これまた話題の映画「立候補」を想田監督はどうおもってるのか、とかね)から質疑応答まで、闊達な雰囲気に溢れた気持ちのいいものでした。ああいう「背筋の伸びる感じ」はなかなか得がたいものなのでとても嬉しかったですね。