TARJEELINGニューアルバム「Quiet Life」に関する覚書 第一回「本アルバム制作の経緯と概説」

ニューアルバム「Quiet Life」発売まで本日であと1か月となりました。
本日より、「Quiet Life」についての覚書を不定期(2~3日おきの更新となると思います)で連載する事にしました。
この作品に触れるきっかけになればうれしいです。
第1回の今回は、アルバムを作るにあたった経緯と概説について
以前どこかにも書いた気がするが、元々アルバムを作る気はなかった。
2015年に「Daily Colony News」を出した後、講演に使う用の新曲のトラックは翌年くらいから作り始めていたものの、
当初は音源化するつもりもなかったし、したとしてもSoundcloudとかでたまにリリースする感じでいいだろうと思っていた。
そんな感じでまた録音作業を再開したのは2016年の後半の事だったと思う。
出来上がってきた楽曲は曲調も歌詞もバラバラで、一つ一つの出来はともかく、統一感という点ではまるでなかった。
やっぱりこれはアルバムには出来そうにないな。まあいいや。
そう思いながら、それでも地道に作業を続けていった。
ある日、ふと10数年前に1フレーズだけ作って、そのまま作りかけになっていた曲を思い出した。
それは、
「ALL I REALLY WANT IS A QUIET LIFE WITH YOU.」
(私が本当に欲しいものは君との静かな生活だけ)というフレーズだった。
そのフレーズを思い出した瞬間に、ある気付きがあった。
ここしばらく作ってきた数々の曲は、結局このフレーズについて歌っているのではないかと。
気づいた途端、これまで接点のないように思えた楽曲が、この言葉を要にして俄然統一感を感じられるようになった。
これはアルバムにせねばならない。せずにはいられない。そう思った。
作りかけていた曲は、メロディと言葉を足して1曲に仕上げた。
それがタイトルトラックとなった。
というわけで、TARJEELING3年半ぶり、5作目のアルバムは「Quiet Life」という名前になった。
前述したように、曲調やサウンドに関しては(いつもにも増して)バラバラだ。60年代~90年代のポップ、ロック、パンクからディスコやスカ、果てはゴシック・エレクトロ(?)まで。
特にTARJEELINGを始めた当初は意図的に封印していたポップな要素を、今度は半ば意図的に強調した。
一方歌詞に関してだが、多くの曲で「Quiet Life」(静かな、平穏な生活)について言及してはいるものの、
そうした生活への単純な憧れや満足感を歌ったものは1曲もない。
むしろこの国で暮らしていく上でそうした生活を望めない事、誰かが平穏な生活を享受するために見過ごされているもの、平穏な生活への祈りがいつしか色んな形で歪められていった事など、
「平穏な生活」をめぐる錯綜した事象や感情を1曲1曲「物語のように」綴ったものとなった。
個人的な体験もある程度反映されているが、基本的には自分の心情そのままをぶちまけたものではない(個人的意見だが、「自分の心情を野放図にぶっちゃけるのがリアルだ」とする昨今の風潮には反対だ)。
かなり辛辣な視点から切り取ったものが多いが、そのように個人的心情の垂れ流しではない点と、ポップな音楽性を意図的に採用した事で、より開かれたものになったと信ずる。
このアルバムはTARJEELINGの、いや聡文三ソロ名義で始めた頃から数えると25年余の歩みの中で、
楽曲、言葉、アレンジ、サウンドメイキングのどれをとっても最高到達点となったと自負している。
また、「状況と向き合う表現」という意味で、この国ではポップ音楽が他の表現ジャンルに後れを取るようになって久しいが、
本作は2018年において数少ない「状況と向き合ったポップ音楽作品」となっていると思う(前作「Daily Colony News」に比べてポップな語り口にしているが、本当の意味での摩擦係数はあれをはるかにしのぐ)。
この作品が、どれだけの数の人に届くものになるか分からないが、文字通り心血を注いで作った作品なので、
一人でも多くの人の耳に触れてほしいと、切に願っている。
そして、こんなご時世にこんな(無謀な)試みをした者がいた、という事を面白がってほしい。
嘆かわしい事に、この国の世間の同調圧力はますます無慈悲で強力なものになってきているが、
諸君が本作に「その同調圧力を意に介さず生きる」ための力とアイディアを見出していただければ、これに勝る喜びはない。