どうしたらこんな傑作が作れるのか、分からない。

 少し前、クリント・イーストウッド監督の映画「グラン・トリノ」が公開された際、恐らく向こうの映画誌か何かの評からでしょう、こんな賛辞が宣伝文句に使われているのを観た覚えがあります。
 (正確な表現は忘れましたが)「どうしたらこんな傑作が作れるのか、分からない」。
 これはもう恐らく考えられる限り最上級の褒め言葉ですね。こんな作品を作れるなんて人間業とは思えん、と言ってるようなものですから。
 こんな賞賛は滅多な作品には出せるものではないでしょうが、例えばアントニー・アンド・ザ・ジョンソンズの作品に対してなら私はこの言葉をためらいなく口にする事が出来ます。
 
 前作「クライング・ライト」は、大げさでなく私にとっては10年に1枚レベルの大傑作でした。
 私が彼らの作品に接したのは遅く去年の年末くらいだったのですが、買ってから丸々1ヶ月これしか聴かないというか、このアルバム以外の音楽を全く受け付けなくなってしまった程です。
 これは怖いですよ。家にある他のCD全部捨てたくなったり、音楽やめたくなったりしますから(笑)。それが丸々1ヶ月続くんですよ。
 その後段々通常の状態に戻ってはきましたが、今まで出会った中で最高の音楽の一つという評価は全く揺るいでおりません。
 
 新作「スワンライツ」が昨日日本発売されました(正確には今日発売。昨日入荷。余談だけどヘンな制度だねこれって)。
 最近では発売日(正確には「入荷日」ですね)にCD店に駆けつけて新作を買う、などという事は滅多になかった私ですが、今回ばかりはタワレコに走りましたよ。
 いやあ、やっぱりすごいです。何がどうなったらこんな音楽が出来るのかさっぱり分かりませんが、メチャメチャ感動します。
 
 とここで話を終えてもいいのですが、それではあまりにも不親切なのでもちょっと説明を。
 まずアントニー・アンド・ザ・ジョンソンズの音楽性ですが、際立って突飛な事をやっているわけでは実はありません。
 楽器編成は通常のロックバンドとは異なり、ストリングスや管楽器も加えた大所帯ですが、それとて奇をてらっているというよりはアントニーの歌の魅力を生かすためにはオーソドックスな編成と言えます。
 歌われる楽曲もいわゆるポップソングのフォーマットはあまり踏襲していませんが、ユニークさよりもポピュラー音楽勃興以前の「歌曲」と言われるような楽曲に通じるクラシックな風合いがむしろ際立ちます。
 というわけで、表面的に分析すると、「現代においてはやや風変わりに見えるかもしれないが、白人音楽の歴史から見たらむしろ伝統的な存在」という図式が成り立ちそうな気がします。
 
 でもね。やっぱり分からないんです。何度聴いても。どうしてこういう音楽が出来るのか。
 例えば今作の1曲目は、タイトルの言葉を呟くように歌うという、言葉にすると割とありがちなパターンから始まるのですが、この言葉がこの節回しとこのリズムに乗って、バックのピアノの音がこんな風に絡むのをどうやったら思いつくのかとかが、どう聴いても分からないんです。というか単純に、こんなやり方聴いた事ありません。
 そういう瞬間がこの人達のアルバム聴いてると、もうボッコボコ出てきます。くどいようですが、ピアノと弦と歌でメロウなバラッドとか、そんな曲ばっかりでそれなんですよ!!
 けど本当にこの人達が凄いのはそういう所じゃないんです。
 本当に凄いのは、そんなにアーティで難易度高そうな音楽をやっているのに、パッと聴いた際に、「ああ、マニアックだねえ」とか、そういう腐れ音楽オタクしか喜ばんような(笑)感想を決して抱かせない所です。
 何も考えずに最初聴いたらただひたすら音の美しさ、曲の良さ、悲哀と崇高さが漂う歌に感動してダダ泣きするだけなんです。そしてしばらく経って冷静に聴いてみると「すげえ!エラい事になっとるこの作り!!」みたいな。
 多分この人達は、「音や構成に凝って人を驚かす事をやってみよう」とか、そういう意識で微塵もやってないんですよね。あくまでまず音楽への感動ありきで、表現したい世界がどうしてもそういう作りを必要とするからやる、という感じなんだろうと思います。
 文字にすると至極当たり前な事で、実際そういう意識でやっている人も多いのでしょうが、音として鳴らされた瞬間にその事が一発で「分かる」(というか「感じる」かな)ようにまで高められている音楽が今一体どれ程あるのだろう、それが常人にとってどれ程高い要求水準だろうと思う時、やっぱりこの言葉を呟きたくもなるのが人情ではないでしょうか。
 「どうしたらこんな傑作が作れるのか、分からない」。