映画『ネコを探して』を観てきた

 先日映画『100,000年後の安全』を観た際、同じ館で『ネコを探して』http://www.neko-doko.com/も上映されているのを見つけた。
 猫者としてはこれは是非チェックしておかねばならない。
 以前ならレンタルで降りてくるまで待ったかもしれないが、最近周囲のレンタルヴィデオ(つうか今はDVDか)屋が相次いでつぶれたのを見るにつけ、ここで観ておかなければもう観れなくなるかもしれないと思い、再びKBCシネマに足を運んだのである。
 シネコン以外の映画館は絶滅しつつありますからねえ。ここだっていつまでもつか分かったもんじゃない。
 
 本作はタイトルから連想されるような、「癒し」的な作品ではない。
 いなくなった飼い猫を探して主人公が時空を超えて旅をする、というストーリーを軸にして、世界各国での人間とネコとの様々な関係が語られ、現代社会への批評へとつながっていく、という割と「重い」映画である。
 驚いたのは我が国でのネコ事情に結構な時間を費やされている事。何でも監督の母国フランスでネコの魅力がクローズアップされたきっかけの一つとして広重の絵があるそうで、フランス人にとっては日本でのネコの扱いは気になる所なのであろう。夏目漱石やあの駅長ネコ「たま」水俣病発見のきっかけとなったネコのエピソードなどが語られる。
 ただ、結構その視点は辛辣だ。例えば最近の日本でのペット事情―ネコが着たくもないペット服を着せ、栄養過多なペットフードと過保護な生活で人間のような病気を患わせ、数年で捨ててしまうような飼い方が蔓延する風潮―について、本作ではかなりの時間を割いて批判している。また「たま」にしても、駅長にネコを起用した鉄道会社のアイディアを賞賛する一方で「本来自由な旅人であるネコがここでは留まって旅人を見送っている」と複雑な思いがモノローグされる。
 他の国のネコを取り上げる際にも、監視社会化の問題であるとか、企業の利潤最優先主義から来る個人への抑圧とか、そういった話題がネコの話に絡めて毎度提出され、批判される。
 正直、ウザいという気がしないでもない。いや実際の所、題材にしてもそれに対する視点にしても当方とは相通じる事が多いのだが、それをいちいちネコにかこつけて出さんでもなあ、という気に段々なってくるのだ。
 本作でも触れているが、ネコを「自由と個人主義」の象徴と捉える考え方は何も普遍的なものではない。ご本尊のフランスでさえ、個人主義が台頭する19世紀後半以前は悪魔の化身みたいな言われ方をされてたそうだし。
 言ってみればネコを自由の象徴と考えるのも、癒しと甘やかしの対象とするのも人間の勝手な都合であるのは変わらないわけで、それを立脚点にして文明批判をするのは構わないけどネコの幸福とは必ずしも一致しないよ、というかそもそもネコにとって幸福が何ぞやなんて人間が勝手に決められないよ。そこん所の「わきまえ」が今ひとつ出来ていない気がした。
 
 だから、ネコを狂言回しにするような作りでなかったら、なかなか優れたドキュメンタリィとして評価できたかもしれない。ただネコが出てこなかったら、わざわざ劇場まで足を運んだかは怪しいもんだけど(笑)。映画じゃなくても「ETV特集」とかで同様の趣旨の番組が観れたら、それでOKだったかも。
 
 ま、とはいえ、何だかんだ文句はつけても、作品中に出て来る猫はなかなか魅力的だったのでよかった事にする。立て続けに映画館に足を運んで、その事自体結構新鮮だったし。