不定期連載 馬の脚 第七回 「猫者として」

 震災直後はさすがになかったが、しばらくしてから被災者の飼っていたペットや家畜の救済・処遇についての報道が目に付くようになった。
 現実に猫と暮らしている人間としては、この案件はまったく他人事ではない(原発の話も別な意味で他人事でないが)。
 
 私が住む町も、6年前に震災を経験している。
 勿論被害規模は今回と比べるべくもない。私の住んでいた辺りだと皿がほんの数枚破損しただけですんだし。
 ただその時もやはり思ったのだ。もしもっと大きな地震があった際、果たしてちゃんと猫を連れて避難できるのかと。
 我が家には猫は4人いる。
 住処からの脱出は、まあ家人と手分けすれば出来ないことはないかもしれない。
 ただ、避難所生活となった場合、この子達皆を引き連れていくというのは困難を極める。
 
 実は家人の実家が、先の震災の際一番被害がひどかった玄界島だった。
 親戚に動物好きな人がいるのだが、幸いその方のペットは連れて行く事が可能だった(避難所が体育館だったのだが、住居スペースとは別に、通路のあたりにペットケージが置いてあったと思う)。
 ただこれは避難所生活を強いられる方が比較的少数(玄界島民以外の避難所生活者は基本的になし)だったから出来た話だろう。街中の人間が不自由な生活を強いられるとなったら、ペットと一緒はかなり厳しい。
 最悪な場合、手放すこともありうるだろう。またはペットと共に避難所以下の劣悪な環境で耐えるか。
 猫者として生きるということは、そういった事も引き受けて生きていく事だ、と実感する。
 
 そういう人ばかり取り上げているのかもしれないが、報道を見ているとペットを見捨てることなく何とかしたいと思う飼い主さんがとにかく多いのに驚く。
 あんな壊滅的な被害を受け、今後も何が起こるか分からない瓦礫の町に、避難所から取って返して犬猫を救いに行く人が何人もいる。自分も危ないのに。
 私は猫者だからそういう方々の気持ちは心から共感するが、人によってはついていけない人もいるだろう。たかが動物ではないかと。人の命も危ないご時勢に何事かと、非難する人もいるかもしれない。
 ただ、私は思うのだ。
 ペットショップから飼ったにせよ拾ったにせよ、大抵の場合動物は、自らの意思で人間と暮らしているわけではない。いわば人間の生活に「巻き込まれて」生活している、と言っていい。
 そして「巻き込まれて」生活しているが故に、(狭い家屋での暮らしや避妊・去勢手術など)自分の意思ではなかったり、本来の姿ではない事を強制される事も多々ある。
 人間社会で生きていくから仕方ない、とも言えるが、少なくとも私などはそれに対して「負い目」を感じる事がある。
 だから、その「負い目」に対して多少なりとも借りを返したいと思う。また、そんな事も出来なければ人間が万物の霊長などと言ってデカイ面をする資格などなかろうと思う。
 実際に被害にあった飼い主さん達がどのような思いでペットを助けようとしているのかは分からないが、私ならそういう思いも少しは混じるだろうな。
 
 最後に、今回に関しての私なりの「負い目への落とし前の付け方」を表明しておく。
 現在被災地では、NPO等を中心として飼い主と生活できなくなった被災ペットの一時保護・里親探しが活発に行われていると聞く。
 私は経済状態・住処の広さの問題その他の為、被災ペットを受け入れる事が出来ない。
 なので今回、緊急災害時動物救援本部 http://www.jpc.or.jp/saigai/に毎月一定額の救援金を送る事にした。
 金額については、「猫1匹分の一月の食事代」程度と考えて頂きたい。まあ、大した額ではない。
 ただ、金が続く限りは継続したい。目標は10年。「猫1匹が天寿を全うできる年数」の最低ラインとなるとこの位ではないかと思う。
 もっとも、現実に養っている猫が優先なので、将来的に我が家の生活が困窮を極め、そちらの方に影響が出るようになったら断念せざるを得ない。その際は申し訳ない、と言うしかない。
 また、緊急災害時動物救援本部は文字通り「緊急」の為のものなので、10年後も存在している可能性は低い(つうか、存続していない方がいいよねこの場合)。その際はまた改めて、支援先を検討する事とする。
 
 この計画はまったく私個人の意思で行うことなので、この行為は誰に奨めたいとも思わないし、これが最善の方法であるとも思わない。
 また、これで私の抱えている「負い目」が消えるわけでもない。
 ただ、一猫者として、「出来る事」というよりは「したい事」を考え抜いた末の結論である事はご理解いただければと思う。