2011年の総括(その他編)

 2011年の総括企画、前回の音楽活動編に続き、今回はそれ以外の事について。
 つってもほとんど震災に始まり震災に終わったような1年だったけど。

 震災と原発事故を受けて、私を含め殆どの人が右往左往した。救援に駆けつける者、金や物資を送る者。情報を流す者、それをデマだと言う者。復興のヴィジョンを語る者、脱原発デモを行う者。
 その結果、着実に進展が見られる事柄も多い。ただ、原発と福島の行く末とこれからの日本のあり方については、根本的には何も進んでいないと言っていいのではないかと思う。
 非常に大雑把に言えば、震災と原発事故によって、今までの日本が乗っかってきたシステムの―全部とは言わんが―かなり多くの部分がクラッシュしている事が明らかになった。
 ただ、多くの人が指摘している事だが、そのシステムを推進した、もしくは黙認してきたのは他でもない、私を含めた殆どの日本人自身である。
 だから、もしそのシステムを変えようとするならば、やはり我々自身のありようも改めなければならないのが筋だろうと思う(言わずもがなだが、これは政府や東電を批判するなという事ではないよ)。
 これは、非常に困難な事だ。
 今までの自分達を改める事自体も大変な事なのだが、「どう改めなければいけないか」を考えるのもまた、我々自身で行わなければならないからだ。
 改め方について、誰かから答えを教わるわけにはいかないのだ。よその国や過去の歴史にヒントはあるかもしれないが、それをそのまま適用できるわけではない。

 だが、私が本当に困難に思っている事は、実はそこではない。
 先ほど「答えを教わるわけにはいかない」と書いたが、それこそヒントレベルなら結構使えそうなものがあるように思える。正直現時点で政治レベルではいそうにないが、それらのヒントを有効活用できる知性とヴィジョンと意思を持った人も、私は色んな所に埋もれているだろうと思っている。
 しかし、「で、それで?」なのだ。
 例えば、こういう声があるとする。
 「確かに、埋もれたヒントを頭のいい奴が結集して有効活用し、みんなで協力して少しずつ出来る所から変えていけば、これまでとは違った新しい日本を作り出せるかもしれない。で、それで?それにはあとどれ位かかるの?俺が生きている間にそれは達成できる事なの?結婚もせず、子供もいない俺にとって俺が死んだ後の未来なんて関係ないことだよ。俺が死んだ後の関係ない奴が幸せな顔をするために俺は死ぬまで苦労しなければならないの?んな事ぁまっぴら御免だよ。第一、そんな世の中が実現できたとして、その世の中で俺みたいな身勝手な奴が幸せになれるとは思えないもの。自分が幸せになれそうもない世の中を作る為に苦労する馬鹿はいないよ。そんな事をするくらいなら、俺は何もせず、余生を楽しく生きたほうがいい。これから福島で産まれてくる子供がかわいそうだろっつったって、今までだって俺達が行なった経済活動の悪影響でアフリカのどっかで干ばつが起こって赤ん坊死んでんじゃん。俺が直接かかわってないって意味じゃアフリカも福島も変わんないよ。何でアフリカは見捨てるくせに、福島だったら責任感じなきゃいけないわけ?そりゃおかしいだろ。偽善だよ。」
 あなたはこれに対し有効な反論を思いつけるだろうか。
 今の私は思いつけない。だって、私にはそいつの気持ちがとても分かる気がするから。
 そして、こういう奴は今の日本の、特に我々以降の世代のなかで、結構大きな割合を占めているような気がする。そしてこういう虚無的な気分は、世代を超えて受け継がれていく怖れが高いように思う(何せ、これから当分の間、日本に住んでていい事なさそうだしね)。これは新しい世の中を一から作っていくにあたっては、とても大きな妨げになるだろう。
 こういう奴は無視する、というのも一つの手だろうとは思う。
 しかし、私個人としては、これを無視する、というのはしたくないのだ。
 何故ならさっきも書いたが、こういう気分もまた、私の一部に確実に巣食っているからだ。
 これに対し、私は直感的に「違う」とは思う。ただ、これを超克出来るだけのヴィジョンは、まったく持っていない。
 これを何とかしない事には、私の中では「新しい日本」なんてありえないのだ。

 色んな意味で我々は「その後の物語」を生きているのだろうな、と思う。
 震災の、その後。
 原発事故の、その後。
 経済成長の、その後。
 「戦後」の、その後。
 「ポピュラーミュージックの時代」の、その後。
 そのうち「資本主義の、その後」なんて事になるかもしれない。
 そして、その次の物語が始まる前の、「中継ぎ」のような一挿話を生きて、生を全うする事になるのだろう。
 それを引き受けざるを得ないんだろうな。セットアッパーとしての世代。上等じゃねえか。最近じゃフロントもセットアッパーを随分と評価してくれるようになったしな(笑)。

 相当暗い話になってしまいましたが(また書いてる本人必ずしも暗い気分でやってないあたりがタチが悪いんだが:笑)、2011年、この時として呆れるほど冗長なコラムを根気強く読んでくださった皆様、本当に有難うございました。
 2012年は、―あえてもっと良くなるように、とは申しません―もっと見晴らしの良い場所に皆様が立てる事を、心よりお祈りいたします。
 それではまた来年!