『怪人二十面相・伝』雑感

 twitter にも書いたのだが、先週末TV放映された映画「K-20 怪人二十面相・伝」を観た。
 この映画、原作は乱歩ではない。劇作家、北村想の手による『怪人二十面相・伝』が原作という事に、一応なっている。
 実は私、劇場公開時には観に行かなかったのだが、公開前に配布されてたチラシは見た覚えがある。
 そこに書いてある大まかな内容から、かなり原作を無視した展開になるだろうなと(笑)予想はついていたのだが、実際に見てみたら予想をはるかに超える冒?っぷりであった。
 いやあ、あれはすごかった。宮崎駿でもあれほどの改変はすまい(笑)。原作と同じ所と言えば、主人公の遠藤平吉がもとサーカス団員だった所(ただこれは原作というより乱歩オリジナルでもそうだからね)、「泥棒長屋」と言われる場所に身を寄せる所、「泥棒修業の書」なる本をもとに二十面相になるための修業をする所、あとヒロインの名前が葉子という所くらいである(といっても泥棒長屋に住むようになったいきさつも、葉子のキャラクター設定も、原作とは全く異なる)。
 正直、なぜあの筋で「原作:怪人二十面相・伝」と銘打ったのか、全く理解に苦しむ。二十面相をベースにした、オリジナルのアクション活劇作品という事にした方がまだすっきりくる(とは言え、そういう観点で観てもこの映画、色んな所がダメだったのだが:笑)。
 wikipediaで調べてみたところ、興行成績はそれなりに良かったようだが(興収20億だったとの事)、私はいくら乱歩好きでも、こんな金ばかりかかった大味な映画金払って観に行く気はしないねえ。

 原作は今手元にないので、20年ほど前に放送劇化されたものを録音したテープを聴き直してみる。
 こちらは非常に正攻法に、原作に即した作りがなされているものだ。
 やはり、断っっ然こちらの方が良い。
 そもそもこの作品、アクション活劇という風情では全然ない。戦前~終戦直後の混乱期を背景に、二代の二十面相(このお話では、二十面相並びに明智が戦前と戦後で二代に分かれていたという設定になっているのです)を中心とした様々な人間模様の機微や、怪盗として名を馳せるまでの苦心とか、そういった所に焦点を当てた作品になっているのだ。
 派手な面白さというのはないんだけど、二十面相が活躍した(とされる)時代にしみじみと思いを馳せられるような、そしてオリジナルの二十面相シリーズへの愛とリスペクトに溢れた「感じのいい」作品なのですよ。
 だからテープ聴きながら何度も思ったね。「フツーに、これをそのまんま映画にすれば全然いいじゃん」と。バカみたいに予算をつぎ込んで大ヒットを狙わざるをえないような大作にするんじゃなくて、主要都市数箇所のみの上映とかでいいから、金城とか松たか子とかそういう金のかかりそうな役者は使わなくていいから(笑)、その辺の風情を丁寧にすくい取った演出にしたらいい線行くと思うのになあ。
 もちろん映画は原作に忠実でなければならないとは毛頭思わないが(それを言い出したら黒澤明宮崎駿も成立しない映画がいっぱい出て来るぞ:笑)、「K-20」は北村想の原作についても二十面相についても何にも「キモを掴んでない」んだよな。だからダメです、あれは。
 原作、図書館で借り直して再読しよっと。