ユートピアンを気取って

 ユートピアン、という言葉を初めて知ったのは大学生の頃だと思う。
 とある雑誌の音楽評(どういう主旨だったのかはすっかり忘れてしまったが、ライ・クーダーを取り上げたものだった事だけは何故か覚えている)の中に、ユートピアンについての記述があったのだ。
 確かその記事では、ユートピアンについてこういう風に紹介していたと思う。
 左翼でも民主化でも何でもいいけど、ある政治運動(つうか革命運動かな)を行う者がいたとする。
 自分の理想を実現しようと彼は躍起になるんだけど、弾圧されたり、社会の無理解などで実現が出来ない。
 自分の理想が今日実現できない、明日も実現できない、あさってもその先もずっと、という状態が続いていく。その事実に彼は段々耐えられなくなる。その時彼はどうするか。
 記事によると、彼には3つの選択枝があるという。
 一つはテロ。
 もう一つは転向。
 そして最後の一つが、「ユートピアン」になる事だという。
 これには実例があるらしい。
 昔ロシアで革命運動があった頃。ナロードニキ、と呼ばれる一派があって、その中のテロリストがまあ、活動に失敗して投獄されたと。
 出所した後彼は、地方のヨーグルト売りとして一生を終えたそうだ。
 どういう事かと言うと、ヨーグルトは人の健康の為になる。それを売って人に食べさせる事は、「誰にとってもためになる『よい』事」となる。
 そういう「『よい』事」をずっと、無限に積み重ねていく果てに、自分の理想の達成を見据えて生きること。それが「ユートピアン」という選択肢なのだそうだ。
 何せ大昔の記憶なので細部はかなり怪しいが、主旨としてはこんなもんだったと思う。
 
 その数年後、「ユートピアン」というフレーズを使って曲を書いた事がある。
 その時の歌詞はこうだ。

 噂によるとこの文明社会って奴はもう取り返しのつかないとこまできているらしいぜ
 つまりもうユートピアンを気取ってヨーグルトを売り歩くような生活に戻る事なんて出来ないって事さ
 (「キャプテン・ネモ」より)

 そう、当時の私はユートピアンというあり方に対し懐疑的、というか有体に言えば否定的だった。
 ユートピアン?そんな悠長な。そんなやり方じゃ一生かかってどころか、孫子の代になっても世界はちっとも変わらないよ。つうかもう手遅れなんだよ。そんな感想を持っていたと思う。
 この曲を書いてからさらに随分と時間が過ぎた今、私はあろう事か、昔嘲弄したユートピアンという奴をちょっと気取ってみようか、そう思っている。

 何故そういう心境になったのか。
 ざっくりと言えば、ジジイになったから、そしてジジイになるにつれて自分の無力さを身にしみて知るに至ったからだ。
 もとより私は色んな意味で大して力のある者ではない事は重々承知していたが、それでも、年々自分の可能性や限界の輪郭がくっきりしてきて、その埒外にある事はどう頑張っても無理!という事をイヤというほど感じるようになるんですな。
 これは普通に考えて情けない話なんだけれども、奇妙な事だが私にとってはある種の希望でもあったのだ。
 つまり、逆に言えばその輪郭内にある事なら何とかやれる、ちょっとずつでも何かが出来る、かも、という風に読み替えることが出来たのだ。
 その輪郭は今後も狭まっていくんだろうけどね。
 そして、多分今まで生きてきた分以上の長さの年月を生きれないだろうと思ったら、もうそれをやるしかないじゃん、しんどいかも知れないけど残り半分もないと思えば気が楽かもよ(笑)、と考えるようになり。
 じゃ、これはもうユートピアンしかないだろう残りの人生、という結論に勝手に至ってしまったのだ。別にヨーグルトを売るわけじゃないんだけれどね。『よい』事を出来るだけ、できる間、積み増しという方向で。

 もっともな疑問として、ユートピアンというやり方で本当に(少しずつでも)状況は良くなるのか、理想は実現できるのか、というものがある。
 それについては分からない。つうか、前述のテロリストの例にしても、彼がヨーグルトを売り続けた事はソ連が出来た事といかなる関連があるのか、と問われれば、そんなもんなさそうだし。そのソ連もあんなどうしようもなくなっちゃったわけだし(笑)。
 ただ、革命に寄与したかどうかはともかく、彼がヨーグルトを売る事で周りの人の―健康じゃないかもしれないけど―何かは代わったかもしれない。それは何十年後かに、革命思想とかとは別のところで人の世に貢献する事になった、かもしれない。
 しなかったかもしれない。でも、そこに賭ける、という考え方を今は採りたい。というか、そういう考え方が好きになったのだ。

 ちょっと長くなったのでここで一旦切ります。次回はそれを踏まえて来月の衆議院選挙について書きます。