相変わらずメディア上(ネットだってメディアだからね)では芸人さん(の親族)の生活保護受給騒動で盛り上がっているようですな。
正直、あれがよく分からない。この騒ぎのどこに報道する価値があるというのか。
まず単純にやった事だけで言うなら、これはベタ記事にも値しない。勿論あまりいい事ではないが、あんな事例よりもっと悪質なものがどこにだってゴロゴロ転がっているだろう。
次に有名人のスキャンダルとしてのニュースヴァリューを考えると、これはまあ、認めてやってもいい。個人的にはさして興味を覚えないが。
で、生活保護問題を改善するキャンペーンの一環としての価値はどうだろう。
これは無価値どころか、かえって事態を悪くするとしか思えない。
私の非常に大雑把な理解では、生活保護問題とは、
①財源の問題(総額3兆7000億超えちゃったんだって、どーすんだよ)
②不正受給の問題(もらう対象でない奴がずるい事してもらってるよ!)
③受給が行き届かない問題(本当に困ってる人に保護費が行かないんです・・・)
に大別される。芸人さんの件は②の領域ですわな。
で、これまたざっくり考えると、生活保護は困窮者の為のもの。だから困窮者が困る(なんかヘンな日本語:笑)事態を避ける事が、まず優先されるべきと考える。
だとすると、この場合、①~③のどれを優先するかを言えば、まず③。そして、①。ズルイ奴取り締まるのはとりあえず困窮者に行き渡ってからでいいので、②は最後となるだろう。
もちろんこれは大雑把に考えた場合。現実的には①~③は同時進行で片付けなければならない事だし、それぞれが相互に連関しあっていることでもあるだろうから、いつも②を後回しにしていいということではない。
ただ、やはり優先順位が低い案件を重視する場合は、それが優先順位の高い案件の達成にどれだけ妨げとなるかを考慮する事が必要になるだろう。
で、先日たまたまついていたTVで、やはり生活保護の事をやっていた。
例によって芸人さん問題と絡めて不正受給の事を報じていたのだが、不正受給とされるものの年間の額を聞いてたまげてしまった。
うろおぼえだが、270億くらいだったと思う。
おい、年間総額3兆7000億のうちの270億か。
比率で言ったら1%以下か。
国民の数で単純に頭割りしたら、一人年間200円くらいの損か。
お前ら、1年で200円損したってギャーギャー文句言うて楽しいか。
生活保護受給者は年間200万人くらいだそうだから、彼らに単純に還元したとしても年間1万3500円くらい。それ自体は悪くない額だけど、例えば大阪市が今後警察OBなども交えて不正受給者の摘発を強化するそうだけど、そういう事を仮に全国規模でやったらコストはいかほどなのか。不正受給額よりかかったりして(笑)。で、もし還元されてもそのコストはまず間違いなく差っ引かれるから、不正受給の摘発が困窮者にとってどれだけ益になるのかは、まあ推して知るべしと。
つうかですね、額がどうかという事よりも、不正受給を叩く事が最終的に生活保護のシステムにとってどれだけプラスに作用して、困窮者にどれだけ還元されるかとか、そういう議論自体がないじゃないですか(あるのかも知んないけど、少なくとも私が見たいわゆる「マスメディア」での報道においてはない)。それがムカつくんですよ。
この手の報道を見てて、いつも気になる事がある。
それは、必ずと言っていいほど、不正受給の問題と絡めて、実際に(正当に)生活保護を受けている人達のインタヴュウやらドキュメンタリィ映像やらを「抱き合わせ」で流す事だ。
報道する側としては、不正受給もあるけれど、本当に困って生活保護を受けている人達もいるので、公正を期すために両方報じるんだよという言い分なのだろう。ま、それ自体は同意する。
しかしですな(←ここは『はぐれ刑事純情派』の安さんの口調で読んで下さると嬉しい:笑)。
これも必ずと言っていいほどの頻度で、正当な受給者に対して「今騒がれている不正受給についてどう思いますか?」という質問をするわけですよ。
で、受給者、これまた判で押したように「我々本当に困っている者まで一緒にされるのが許せません」みたいな、ある種当然なコメントをするわけですな。
でもこのやりとり、本当に要りますか?
だってこれ「そういう聞き方したらそりゃ当然そう答えるわな」と百人観てたら百人思うようなやりとりでしょう。こんな分かりきった答えを何度も何度もリピートして聞きたいですか、みなさん。
そして、こういう抱き合わせ方をした場合、観た人の心理としては「受給者かわいそう」というよりむしろ「不正受給者許すまじ」の方により多く、というよりは殆どの場合そっちに傾くもんだと思う。
で、「人を見たら泥棒と思え」よろしく、「不正受給者許すまじ」のバイアスが強い人が生活保護やその受給者について「ああ働けて金持ってるくせに税金掠め取ってる不届き者ね」というイメージを抱きがちになってしまうのは、まあ当然の帰結だと思うのですよ(まさか受給者一人ひとり捕まえて正当かどうか検証するわけにもいかないし)。
かくして正当な受給者に対する偏見は強化され、これまで以上の偏見に晒された受給者はインタヴュウを受け、そのやり取りを観てた人はまた・・・みたいな感じのスパイラルが完成するわけだ。
こういう見方は極端に過ぎるだろうか?勿論(笑)。
ただ、受給者に不正受給者への恨みや、一緒にされる恥を語らせた所で、少なくとも問題の解決には何の貢献にもならんだろう。
もっとも溜飲を下げる事には貢献するのかもしれない。しかしその場合、溜飲を下げているのは誰なんだろうねという疑問は残るが。