44歳になってしまった。

 12月14日、44歳になってしまいました。

 いやあ、44歳ですよ。
 誰にとっても誕生日というのはそれなりに感慨深いものかもしれませんが、個人的に44歳、という年齢は割と特別な響きを持っています。

 昔―20代の前半ですからかなり大昔、ですね(笑)―、44歳まで生きたらあとはいつ死んでもいいだろう、と思っていました(今はそんな事思ってませんよ、念のため)。
 理由は割と簡単で、生まれてから大体22年間は親の金で養ってもらって生きてきたのだから、そっから22年間自力で何とか生き延びれば、それで一応借りは返しだぜあとの事は好きにしてくれアディオスアミーゴス、とまあかように考えていたのです。
 今となっては、何がどう借りを返したのか、と突っ込む気にもならないくらい浅はかとしか言いようがありませんが、当時は割と真剣に考えていて、というか「自力で22年生きる」事すらもとても達成できるようには思えなかったというのが本当の所で、気分としては(そう、あくまで「気分としては」、ね)かなり途方に暮れていた、という感じでした。

 当然の事、将来についてこんな風に考えいていた人間は皆無でした(笑)。そりゃそうだ、普通は将来のヴィジョンというと(いや2015年の若者はどうか知りませんが、当時は)、ナントカ系の仕事につきたいとか○○歳までには結婚したい自分の家を持ちたいとか、そういったもんが普通ですから。ただ自分の中で、そういった「前向きな」ストーリーはまったくリアリティーのあるものではありませんでした。そういったヴィジョンを持つ人を別に軽蔑していたわけではありませんが、そんな風になっている自分というのが全く想像もつかなかったもの事実です。

 で、その22年が経ってしまったわけですが。
 過ぎてしまえばどうって事はなかった、とはさすがに申しませんが、「何だ、取りあえずはできたじゃん」という気持ちが単純にまずあります。
 そして、「22年でカタがついた気には全くならない」とも率直に感じています。もちろん最初の時点で抱えていた問題のいくつかはすでに過去のものになっていますが、新たに増えた問題もあれば、一生考えなきゃいけないような問題もハッキリ見えてきた。落とし前はつかないのです。
 あと一つ、「こっから先は今までとは全く違ったやり方をせざるを得ないだろう」という予感も、あります。これは個人的な問題のみならず、今の社会とも絡んだ話。私はこの国は「一つの滅びの途上」にある、と考えているのですが、その中で愚かさや邪なものに飲み込まれずに何とか持ちこたえるためには(この22年で飲み込まれた人をたくさん見てきたのです)、色んな事が「今まで通り」ではすまなくなってくるだろう、という覚悟をもってあたるしかないのでしょう。
 イヤなんですけどね。私は「今までと同じ平穏無事な日常が明日も訪れる事」を何よりも望んでいる人間なので(ホントだって)。

 そういう意味では、20代の頃に感じていたのとは全く違う意味で、一つの節目となる誕生日になりました。
 最後に。
 Facebook他、各種SNSやメールでお祝いのメッセージを下さった皆様、本当にありがとうございました!!せっかく祝ってもらったのにこんな辛気臭い話ですみません(笑)。