内側に向ける刃

 昨日、東京都の例の条例が可決された。
 既に以前からネットでは大騒ぎになっていたし、ニュースでも幾度か取り上げられていたけれど、この問題に関して私はものすごく熱心に取り組んだり考えたりしていたわけではない。
 以下の文章は、それを前提にして書かせて頂く。
 
 まずのっけから何だが、私は東京都民にさして同情しない。
 条例に肯定的というわけではない。むしろその逆で、私の知る乏しい情報の範囲内でも、これが大変危険な法律に「化ける」可能性があるのは十分承知である。
 同情しないと言ったのは、都民がそういう事をやりかねないような男をこんな長きに渡って知事の座にすえておいた事、ひとえにそれが理由だ。
 
 あの男(名前を言うのもイヤなので以下この表記法で通させて頂く)を信念がブレない、実行力があるといって肯定する向きもあるが、私は政治家の良し悪しをそんな事(だけ)で判断すべきでないと思う。
 ブレなくて実行力がある事がいい政治家というのなら、ヒットラーなんか20世紀でも一、二を争ういい政治家だ。正に「信念がブレず」、その信念を「実行する力があった」のだから。
 それどころか、事と次第によってはブレたり信念をなかなか実行に移せないという事は決して悪い事ではないとすら私は思う。いや、政治家に限らず、「間違っているのはこっちかもしれない」という「内側に向ける刃」を絶えず突きつけていかないような人間の放つ「信念」なんて、一言だって聞いちゃいられないと思うのだが。
 あの男にそれがあるか?
 
 まあ冷静に考えるなら、多分都民の多くというのは、この条例の事なんてさして関心がないんだと思う。
 東京都民に限らず、やれ景気を良くして欲しい、就職氷河期何とかしてよ、北朝鮮と中国の脅威どうなってんだ、みたいな「一見具体的で実利的で切羽詰ってるように見える諸問題」(いや確かにどれも一面ではそうなんですけどね)に対する解決が欲しくてしょうがないニッポン国民の皆さん方々にとっては「表現の自由に関する問題」なんて、はあ、よく分かりません、ただ自分の子供にエロい漫画とか見せたくないからいいんじゃないすか、そんな事適当に済ませて景気何とかしてください、みたいな所が「ホンネ」なんじゃないですかね。
 それはそれでしょうがない、のかもしれない。
 ただ私は、そうした「目先の問題」(と敢えて言わせて頂く)を対処療法的に解決する政策が仮に「ブレない信念と実行力でもって」行われたとしても、表現の自由はどこまで許されるべきかとか、強権的に全てを決めていくような政治家に全てを委ねる事が(例えいい政策を実行したとしても)本当の意味で我々の未来に繋がるのかとか、そういう「おおもとの議論」をないがしろにしている社会はいずれ腐ると思っている。
 
 ここからは敢えて、規制に反対する立場の方々にアゲインストの意見を申し上げようと思う。
 まずのっけから何だが、私は過激な性描写や暴力描写があったりする、というかただあるだけならまあいいが、「それしかやってない」ように見えたり、「金が儲かるからやってる」ように見える漫画は好きではない。
 私はヘテロの男なので、例えば強姦を肯定的に、愉悦的に描くような描写を見て多くの女性が催すような嫌悪感を彼女たちほどリアルに感じる事は出来てないと思う。
 ただ、「何か馬鹿にされてる気がする」のは事実だ。「何だかんだカッコつけてるけど、『オトコ』ってえのはこういうのが結局好きなんだろ、え!?」と面と向かって言われてる気がする。
 だから、例えばコンビニで好きな漫画目当てに漫画誌などを立ち読みとかする際(買えよ)、ページ開いたら全然別の漫画のそういう描写にいきなり出くわしたりしたら、気まずかったりイヤな感じになったりする感は否めない。まあウブな子供ではないので、それなりの対処はするけれども。
 
 勿論、これは単に個人的な私の好み、価値観に過ぎない。だからこれを根拠に掲載や販売を規制するなんて事はもっての外である(当たり前だ。第一そんな権限がどこにある)。
 ただ思うのだ。「表現というものは、時に誰かを傷つけたり、不快な思いをさせ得る、危険な側面がある」という事に送り手側が時としてナイーヴすぎるのではないかと。
 これは条例や自主規制という以前の「自覚と覚悟」の問題だと思う。確かにあなたが描いた事に関して、規制したりする権利は誰にもない、かもしれない。ただ、あなたはそれでいいのか。あなたが何気なく描いた事が流通に乗る事で人目にふれ、誰かの不快感を煽ったり、トラウマをフラッシュバックさせてしまうかもしれないという事をちゃんと背負って描いているか。他人に対する影響ばかりではない。ただ金になるという理由でご都合主義的なだらしない性描写や暴力描写を書き続ける事で、あなたが漫画家になった最初の志がどれだけ消耗し、スポイルされるかをちゃんとわきまえているか。そもそもあなたにとっての志、理想とは何か。そういう事への「自覚と覚悟」は、問われて当然だと思う。もちろん載せる側もしかり。
 
 そんな事をしたら「自由な表現」を阻害する、という向きもある。私もそこは否定しない。
 ただ、「自由な表現」を「内側に向ける刃」もなしに追求する事は表現にとって本当の意味でプラスになるのか。いやそもそもそんな表現を「自由な表現」と言えるのか。そういう表現とそうでない表現が混在しているのが現況として、その総体としての「表現の自由さ、多様さ」はどこまで尊重されるべきなのか。そういう議論が漫画家や出版社の間で(あるいは同業者間で)まともに交わされていないからこそ、あの男のゴリ押しに対してワキの甘さを露呈してしまっているのではないか。どうなのだ(あ、ここは詰問や恫喝とかでなくて純粋な疑問ね)。
 
 もうお気づきかもしれないけれど、私は「内側に向ける刃」の欠如、という表現を規制する側、される側の両方に対して使っている。
 あの男がかくも長きに渡って都知事の座にふんぞり返っている事と、無自覚な漫画表現の横行というのはだから、私にとっては決して対立事項でなく、地続きの出来事に思えてしょうがないのだ。