THE ROAD TO OYAJI

 最近家人がハマっている韓国の時代劇のDVDを一緒に観ていた時の事。
 私は特に熱心に観ていないので、役名や俳優名を殆ど覚えていない。
 それでも何人かは顔を覚えている役者さんもいるが、そのうちの一人を家人に説明するのに「ほら、あのひげ生やした、EXILEの人みたいな奴」などと言ったりする。
 それで考えてみるに、この「EXILEの人みたいな顔」という形容、結構多用しているような気がする。こないだはワイドショーの映像に出ていたキャンドル・ジュン(どうでもいいがこのアーティスト名のつけ方はいかがなものか。例えばベース奏者が「ベースよしお」などと名前をつけるようなものではないか)。を指して「あの人EXILEの人みたいな顔だね~」とか言ってたと思う。
 もちろん、かの韓国人俳優氏もキャンドル氏も(そして元となっているEXILEの誰かも)見る人が見れば全然似ていない。だが、どうも「口からあごにかけてのヒゲをたくわえ、面長で眼がやや細く、髪を後ろにしているややコワモテの男」という条件に一致しているというだけで「EXILEみたいな顔」という形容を連呼しているふしがあるのだ。
 これはいかん。まごう事なきオヤジ化である。
 これでは昔たけしのオールナイトニッポンの「よくいるこういうオヤジ」コーナーに投稿されてたビートルズでも何でも、外人が演奏していたら『ジャズ』と言うオヤジ」そのものではないか。

 オヤジ化すると、若年層から見たら当たり前のような差異に気付かない。気付かないだけならまだしも、自分の知っている狭くて古臭いカテゴリに無理やり押し込めて納得しようとする(で、笑われる)。
 私の「EXILEの人みたいな顔」は、その格好のサンプルだと言っていい。喩えが思いっきり古いならまだ可愛げがあるが、「EXILE」とか微妙に今っぽい(実は若者には今っぽくない。多分)例を無意識に持ち出しているあたりが何とも姑息と言うか、オヤジの上塗り状態である。
 う~む。由々しき問題だ。何とかせねばなるまい。

 でも、これ笑ってるそこの若いのも、そのうち「初音ミクでも何でも、PCで作られた音楽なら何でも『テクノ』とか言うオヤジ」とか言われるようになるんだぜ~。ざま~見やがれ(だから!その例え自体もう古いんだってば!!)。