ジョン・レノンと東海林さだお

 もはや世界的にお約束だが、今日はジョン・レノンが亡くなって30年目である。
 30年前の今日、私は小学3年生。当然、ジョン・レノンのジの字も知らなかったというか、この事件で初めてジョン・レノンビートルズの存在を知ったようなものだ。
 普通の新聞などでも非常に大きく取り上げられていた記憶があるが、当然の事その内容についてはさっぱり憶えていない。ただ、この事件を扱ったある新聞漫画の事は非常に良く憶えている。
 
 漫画のタイトルは「アサッテ君」。東海林さだおの筆による、毎日新聞に連載されている長寿漫画だ。
 その日のあらすじはというと、
 
ある会社で、若い社員が集まってジョンの死について嘆き、語り合っている。
 それを見た年配の社員、何とか若者の会話に加わろうとして声をかけようとした際、
 
 「ビートルズが殺されたんだってね」
 
 という決定的に場違いな一言を発してしまい、その場にいた全員から「ダメだこりゃ」という顔をされる、といったものだった(笑)。
 当時小学生の私でも、この漫画の言わんとする所は何となく分かっておかしかった覚えがある。
 この漫画に出てくる若者達も、今では年配社員の年ぐらいなんですね…。そう考えると感慨深い。
 
 作者がどこまで意図していたのかは知らないが、この漫画にもう一つの皮肉が盛り込まれているのに気付いたのは割と最近の事だ。
 それは若者世代の方へと向けられたものだ。
 私の記憶では、冒頭のコマで一人の社員が泣いているのに別の若者が近付いて、「あなたはジョンの死を嘆いているのか」といった意味の事を問いかける。
 しかもそれは上記のような文章によるセリフではなく、カタカナで書かれた符牒のような単語(恐らく、ジョンの曲のタイトルとかだったのでしょう)をお互いが交わす事によってコミュニケーションが成立する。事情を知らない人にとっては、意味不明の言葉の羅列に見えるのだ。
 そういう感じで人が集まってきて、段々若者の群れはジョンの話で盛り上がる、という感じだった。
 大人には分からない符牒で会話が成立するところもアイロニカルだが、私が着目したいのはジョンの死という悲劇が結果的に人と人を結びつけ、コミュニケーションを盛り上げるのに一役買ってしまっているところ。
 文献を色々当たってみると、当時の日本ではジョンの死についてはその衝撃が取り沙汰された割には本質についてあまりまともな検証がなされず、というかジョンやビートルズがどういう存在だったのか熱心なファン以外はまるで分かっておらず、あるラジオDJは追悼の意を込めて「イエスタディ」を流し(!)、ある音楽評論家はジョンの死にかこつけてストーンズの凄さを力説し、といった「まるでクリスマスが少し早く来たみたいな」全くお粗末な状況だったらしい。
 それを考えると、「ジョンの死を嘆く事で盛り上がる若者の図」というこの描写はなかなか鋭い。前述の年配社員に向けられた笑いは、今となってはそんな勘違いおじさんを微笑ましくすら思えるけれど、こちらのアイロニーは今に至るまで長持ちしているような気がする。