みなさん、これを読んで下さい。

 コピーペーストフリーとの事なので(と前の「小説ラジオ」で読んだ記憶がある)、全文引用します(読みやすくするため適当に改行等はしました)。
 みなさん、これを読んで下さい。
 とても長い文章だけど、出来れば全文読んでください。
 一人でも多くの人に。
 引用元:http://twitter.com/takagengen

「午前0時の小説ラジオ」・
「メイキングオブ「さよなら、ニッポン」」1・
「生涯に一度しか文章を書かなかった老人の話」
ぼくがこの話を読んだのは、朝倉喬司さんの「老人の美しい死について」という本の中だった。
そこでは三人の老人(の死)について書かれていた。
そのひとりが、木村センだ。
木村センは、明治24年(1891年)、群馬県吾妻郡中山村(現・高山村)に生まれた。
父なし子だった。
そのせいだろうか、
「センは子どものころ「人目につくのが何より恥ずかしく」、自分の背が伸びるのすら嫌で、いつも背中を「猫にして」歩き、学校にどうしてもなじめなかった……」
「……教師の質問に、答えられるのに手を挙げられず、教室ではいつも、モンペの膝小僧の継ぎ目から藁くずをほじくり出していた」。
字はならったが、農民の子のセンは、字を書く必要がなかった。
これから死ぬまで、センが字を書くのは、選挙の時、候補者の名をひらがなで書く時ぐらいだった
センは18歳で、同じ村の農家に嫁ぐ。
「以後、借金で傾きかけていた木村の家を立て直すべく、一心不乱に働く日が続く。
田畑の仕事、開墾、草刈り、縄ない、家畜の飼育、薪取りなどなど、そして育児。
夫との間に生まれた子どもが5男4女。
うち3人が未成年のうちに結核などで早逝」した。
読んでご覧の通り、木村センは、無数にいた、農婦のひとりにすぎない。
センの息子は、どんなに早く起きても、いつも母親のセンは先に起きていて、なにかしら仕事をしていたと語っている。
センは、働いて、働いて、ただひたすら、無言で働き、黙って死んでゆく農民のひとりだった。
それだけのことなら、
ぼくはセンのことを気にもしなかっただろう。
センは、どこにでもいる
「無言で、明け方から夜まで働き続ける農民」にすぎなかったからだ。
だが、センは一つだけ違っていた。
生涯に、たった一度だけ、「文章」を書いたのである。
なんのために?
六十歳を過ぎたある日、センは凍った地面に足を滑らせて、腰を打ち、動けぬようになった。
実は大腿骨を骨折してしまったのだ。
その後のことだ。
「いかにも、不本意な表情で天井を眺め続けていた彼女は、ある日、手数をかけて体を起こしてコタツに向い、丸めた布団で体を支え……」
「…小学校入学を四月に控えた孫の相手をしながら文字の手習いを始めた。
老女の時ならぬ学習は何日か励行された。
家族はびっくりた。
とくに息子は、自分が小学生のころ、家で教科書を開いていると、
「本べえ(ばかり)読んでるじゃねえ、仕事しろ」とか……」
「…「家じゃべんきょうなんずしつといい(勉強などしなくていい)、学校だけでたくさんだ」
などと叱った、その同じ母親が、「あ」とか、「い」とか声を出しながら、孫と一緒に絵本を読む様子をけげんな表情で眺めた。
ずっと働きづめで…朝から晩までとにかく体を動かして何かを……」
「…やってないと気の済まない人だったから…何もせずに寝ていることなんかできないのだろう。
きっと以前からおばあちゃんは「字を覚えたかった」のだ。
だけどそれがなかなか言い出せなくて、やっと今こんな状態になって、それを実行に移す気になったものらしい」。
こう家族は解釈した。
みなさんは、もう気づかれたかもしれない。
生涯、働きづめで、文章など書いたことがなかった、年老いた農婦のめ木村センが、
まず、すっかり忘れてしまった「字」からおさらいを始めた理由を。
彼女は遺書を書くために、字を習い始めたのだ。
センは、娘に買い物を頼み、家を留守にすると、寝床を離れた。
帰宅した娘が、空の寝床に驚き、家中を捜し回る。
だが、センの姿はない。
家族総出で探す中、孫娘が、物陰から可愛い声でこういう。
「おばあちゃん、ここい、いるよ」。
太い柱の根元で首をくくったセンが発見されたのである。
「木村センが自宅で縊首して果てたのが
昭和三十年(1955年)二月十四日(あっ、昨日だった!)。
享年六十四歳だった。
石井の日づけから、センが自殺決行の十二日前に、すでにこの、生涯最初で最後の文章を書き上げていたことがわかる。
覚悟の自殺。それも非常に強い決断に……」
「…もとづいた死の完遂だったわけである。
遺書は障子紙の切れっ端の両面に色鉛筆で綴られ、空の財布に小さく折りたたんで入れられていた。
財布がなぜ空っぽだったかというと、少し前に、有り金をはたいて末の息子の背広を新調したからだった」
「文章」15・六十四歳の木村センが、生涯で一度だけ書いた文章は家族に残した遺書だったのである。
ここで、ぼくたちは、いよいよ、その「文章」と対面することになる。
ほとんど字を知らなかった老女の文章だから、めちゃくちゃだ。
けれど、じっくりと読んでほしい。
「四十五ねんのあいだわがままお/
ゆてすミませんでした/
みんなにだいじにしてもらて/
きのどくになりました/
じぶんのあしがすこしも いご/
かないので
よくやく やに/
なりました ゆるして下さい/
おはかのあおきが やだ/
 大きくなれば
 はたけの コサになり/」
「あたまにかぶサて/
うるさくてヤたから きてくれ/
一人できて/
一人でかいる/
しでのたび/
ハナのじょどに/
まいる/
うれしさ/
 ミナサン あとわ/
 よロしくたのみます/
二月二日 二ジ」。
四十五年は、センが嫁いでからの日々だ。
働いて、尽くしたあげく、それでも嫁として「他人の家」で「わがままをした」と感じたいたのだろうか。
「コサ」は「木の陰」。
文意は明瞭であるように思える。
足が動かなくなって、働けなくなったので、もう自分の役割はない。だから、先に逝く。
墓地のそばに木が立っているが、そのままでは畑の邪魔になるし、自分が入る墓の上にかぶさるのがイヤだから、切ってほしい。
そう、センは書いている。
そして文末では歌うような調子に変わる。
センは(というか、多くの農婦たちは)、苦しい労働の合間に、「和讃」と呼ばれる歌を歌った。
それはたとえば、
「されども荼毘の時至り
栴檀薪を積みしかば
自ら胸より火をいだし
霞と共になりたまふ
その時大衆もろともに
煙り漸く絶えしかば
泣々なみだを抑えつつ
舎利を分かてかへりにき
釈尊滅後二千余
我等が悲しみ深きかな」
といったものだ。
ぼくは「和讃」のことは知らない。
だが、字も知らず、読めない農民たちは、それを耳で覚え、口で囃した。
中身は、「この世は虚しい、やがて人は死ぬ」といったものだ。
それをこころの支えに、貧しい農民たちは生きたのである。
ぼくは「和讃」を聞いた時、似たものがあることに気づいた。
黒人霊歌」だ。
たとえば、「深い川」の歌詞は、木村センの遺書に出てくる「じょど」の世界を歌っているようだ。
「深い川よ わたしの故郷、
カナンはヨルダン川の向こうにある/
深い川よ 神さま、
わたしは川を渡って集いの地へ行きたい/
ああ、あの祝福された宴へ行きたくはないか?」
「あの約束の地、穏やかな安住の地へ/
ああ、深い川よ、神さま、
わたしは川をわたって集いの地へ行きたいのです」。
苦しい労働に従事しながら、黒人奴隷たちは、この歌を歌った。
暗い歌だ。
だが、この暗さを通過しなければ、彼らは生きる力を持つことができなかったのだ。
ここからは、センの「文章」について、あるいは、センの行為について、ぼくが考えたことをつぶやいてみたい。
たとえば、センの、この自殺は「悲劇」だろうか。
「老い」と「病」が、センを死に追いやったのだ、といえるだろうか。
ぼくには、そうは思えないのである。
家族たちは、センを深く愛していた。
四十五年もの長い間、センは働き続け、家族を養った。
センの子どもたちは「もう、十分に働いたんだ。あとはゆっくり休みなさい」といっていた。
誰も、センを邪魔者扱いはしなかった。
それなのに、センは、ひとりで行ってしまったのだ。
センが文章を残さず、黙って死んでしまったら、家族たちは悲しむだけではなく、とまどったろう。
おばあちゃんには、わたしたちの知らない悩みがあったのだろうか、と困惑しただろう。
センは、家族をそんな目に会わせたくなかった。
そのためには、書き残しておくべきことがあったのだ。
センは、働けなくない自分を許せなかった。
家族が、働かなくてもいいと考えても、センはそう考えなかった。
センにとって、「家族」とは、そのために死ぬことのできる、至上の共同体だったからだ。
もちろん、豊かではなかったが、働けぬセンひとりを養うことは難しいことではなかった。
センは働き続けた。
「労働」を家族に捧げたのである。
だが、やがて働けなくなると、彼女が持っていた最後の財産、「愛」を捧げた。
だから、センの死は、断じて「悲劇」ではないはずだ。
朝倉さんは、センは自分の仕事を
「天職」と考えていたのではないかと考えている。
日々の労働は苦しい。
「和讃」を歌わねば耐えられぬほどに。
だが、その労働は「無意味」ではなかった。
彼女には守るべき家族があったからだ。
家族を守りながら、同時にセンは守られていたのかもしれない。
いまも、センは、故郷の畑のすぐそばの墓に眠っている。
センが亡くなってから半世紀以上が過ぎたのに、センの思い出はいまも鮮烈で、家族たちは忘れてはいない。
センがイヤがった木は、切られて、センの墓からは、山野がよく見える。
我々はどうだろう。
祖父や祖母を、亡くなるとすぐに忘れてしまうわないだろうか。
「老い」を恐れ、目につかぬところに追いやろうとしてはいないだろうか。
センの「文章」に守られ、まるでセンがつい最近まで生きていたように感じる、センの家族のことを考える時、ある感慨に襲われる。
センの未熟な「文章」には、圧倒的な何かが存在している。
もし、ぼくたちが字を知らず、文章を書いたことがないとして、そのためにだけ字を覚えようとするメッセージがあるだろうか。
あるいはそれを伝えたい相手がいるだろか。
その相手のためにだったら死んでもいい思えるような誰かが。
ぼくは、そんな「文章」を書きたいと思う。
生涯、一度も文章を書かず、書こうと思いたった時、まっすぐそれを目指した、センのような文章をこそ書きたいと思うのである。
その文章を送り届けたい相手がいるのならば。
以上です。
雪の夜、深夜まで聞いてくださってありがとう。
お休みなさい