脱原発デモに参加するのは2回目である。
1回目は去年の6月。う~む、8ヶ月ぶりか。もう少し参加したかったのだが(結構こっちの予定とかぶるんだよね)。
さてさて今回集合場所を訪れてまず思ったのは「え、こんな少ないの?」という事。
というのも、6月の際はサウンドカーを使ったり、各種団体の幟等もあってかなり大規模な印象があったからだ。
何でも今回はtwitter発のデモなので、団体系の参加はあらかじめ断っているとの事。ふむ。確かに団体系の参加というのはいわゆる「動員」が殆どなので、純粋に脱原発の意思で集まったデモという点を重視する為にその辺をお断りする気持ちは分からないでもないし、実際前回は「あの~主旨脱原発なんですが、それ分かってます?」と突っ込みたくなるような幟もチラホラ伺えた。
でも逆に言えば、そういうの抜きで集まった「純粋に脱原発を訴えたい人々」ってこれだけなんだと思うと、市民にアピールする意味ではどうかなあと思ったのも事実。
そう言えば6月の際にデモに罵声を浴びせいていたいわゆる「在特会」の人たちが今回いなかったのも「団体系」がいなかったためらしい。いや、いないならいないに越した事ぁないんだが(笑)、そういう理由でいないのもどうなんだ。主義主張の違いというより、単に団体間抗争のネタなのか脱原発って。自称「事情通」に「甘いな」「お前はこの世界の裏側ってものがまるで分かってないな」と嘲笑されようが、やっぱりこういうのはイヤだ、俺は。
さてデモはほぼ定刻(14:00)どおり開始。
だってね、恥ずかしいんですよとにかく。
意外に思われるかもしれないけれど、私は常日頃表立って自分の意思やら政治的意思やらを声高に主張するタイプじゃないのよ(このコラムでは思いっきしやってるけど:笑)。
なので、デモに参加して、ご通行の皆様のご迷惑にも適度になりつつ(笑)、福岡県警のお手も多少わずらわせつつ(笑)、車道の隅を練り歩くだけで私にとっては結構勇気がいる行為なわけだ。
別に何かされるとは思ってないけどね。そういう行為そのものが結構恥ずかしい。
前回は知った顔がそれなりにいたのでまだ良かったけど、今回はいなかったというのも大きい。その場であった見ず知らずの参加者と談笑しながら歩けるようなタマではないし。
他の参加者の幾人かから、プラカードとか旗を持つのをすすめられたけど、「いやっもうそれだけは勘弁してください」状態(笑)。チキンだね~。
けど本来デモって別に楽しみたくてやるもんじゃないからね。恥を忍んでやってる、位の方がちょうどいいのかも。
デモの参加者にも色々な人がいる(まあ見る人が見ればある種の類型を見出す事ができるかもしれないけど、ややこしくなるのでその辺の分析は割愛)。
その時初めて会った人ばかりなのでその人の人となりの何を語ることも出来ないのだが、それでも私から見て印象のいい人と悪い人というのはやはりいる。
印象が良かったのは、集合の際私の横にいた地味オシャレな感じの若者で、この人は声高にアピールとかはしてなかったけど、行進の間ず~っと道端に落ちているゴミを拾って歩いていた。
これはいいよね。デモに対する印象を良くするという意味でも、その人自身が「脱原発」に向かう理由が見えるような気がするという点でも。おじさんは素直に好感。今度マネしよう。
逆に「これはどうなの?」と思ったのは、スピーカーでシュプレヒコールの音頭を取っていた女性なんだけど。
それ自体はいいんだよ。ただ、デモが大名の狭い路地を通って、普通の民家とかもあるような地域に入っても、やっぱりスピーカー通して同じテンションで叫ぶのよこの人。
端的に言って近所迷惑だろう(笑)。いや、真面目な話、狭い路地だと大道と違ってかなり響くし、現に怪訝そうな顔をしてドアや窓を開ける住民の方も結構いたし。
こういう狭い場所なら叫ぶ人数も多い事だし地声で十分聴こえるわけで(つうか、聴いてる人自体あんまいないわけで)、せめてそん時くらいスピーカーの使用控えるとかそういう配慮が出来ねぇのかという。
主張するのが大事なのは分かるよ。でも最終的に必要なのは、主張する事じゃなくて理解してもらう事でしょ?
その為には相手への配慮を欠く行為って、妨げになると思うけどね。
デモは1時間ちょっとで終了。主催者他のあいさつの後、三々五々解散。
ここに書いた以外にも色々思うところはあるのだけど、まあそれは今後の宿題という事で。
まあ人にどうこう言う以前に(かなり言ってますが)、もうちょっと参加回数を多くしないといけないですね(すみません)。あと、やっぱり単純に脱原発の主張だけじゃなくて、これからの世の在り方についてももっと色々知らないと。