サウンド オブ ミュージック

 ハイみなさん、また映画の話しましょうね。昨日放映された「サウンド オブ ミュージック」ご覧になられましたか?
 ハリウッドのミュージカル映画の中でも名作中の名作、公開されてもう50年近くになろうとしますが未だに色褪せない、素晴らしいですね。
 私なんかはこれを観るたびに涙がこみ上げてきて、最低5回は泣かされます。
 酸いも甘いもかみ分けたこの耄碌じじいを泣かせてしまう罪作りな映画、罪作りな「サウンド オブ ミュージック」、でも若い頃と年寄りになった今では、泣く所違いますね。若い頃はトラップ大佐がコンサートで歌う「エーデルワイス」の途中で胸を詰まらせる所でもらい泣きとか、そんな感じでしたけれど、年取ったら若い頃ではなんて事ないシーンで泣くんですね。
 例えばマリアが修道院からトラップ家にやってくる途中のミュージカルシーン、「自信を持って」、マリア役のジュリーアンドリュース、素晴らしい歌にこれぞ躍動感といった感じの素晴らしい踊り、こういうのを見るだけで泣けてしまう、楽しいシーン、勇気が湧いてくるシーンなのに不思議ですね、でもこれは今のハリウッドのみならず、CGだ3Dだといった新しいテクノロジーの映画の時代にはもう観る事が出来ない「生身の人間の歌とお芝居の素晴らしさ」、それが今は失われてしまった、その事をどうしても感じてしまうんです。
 
 この映画の中には色んな登場人物が出て来るんですけれども、みんな最初は「本来の自分」といいますか、「ありのままの自分」をちょっと見失った感じで出てきますね。
 主人公のマリアは天真爛漫、それが本来の姿、でも憧れて入った修道院は厳しい戒律沢山守らないと一人前になれない、自分では気付いていないけれど無理してるんです。一方トラップ大佐、奥さんをなくした痛手から以前の姿を忘れようと子供たちには規律だらけの厳しいパパ、子供は悲しい、パパも悲しい、本当はこんな事したくない。また時は1930年代、ナチスが猛威を振るった時代、オーストリーはドイツに力で合併されようという時、本当はオーストリー人として誇りを以って生きていたいのに「ハイル・ヒットラー」言わないといけない、その辛さ。みんなそういう葛藤を抱えて出てきます。
 そこでマリアがトラップ家にやってきて、歌と踊りを一家にもたらす。そこで全てが変わっていきますね。正に歌と踊りによって、みんなが本来の自分を取り戻していく。大佐や子供たちは勿論なんですが、マリアも変わっていくんです。
 修道女を目指している自分が大佐を愛してしまった事でマリアは悩んで一家から飛び出して、修道院長に相談しますね。そこでの修道院長のセリフ、「男を愛しても神様への愛は減りやしません」、その後に歌われる「全ての山を登れ」、ここ本当に素晴らしいですね。マリアが自分自身でいる事を許し、励まし、でもそれを貫く事の厳しさもさり気なく教える。素晴らしいシスターなんですね。
 
 さきほども申しましたが、今の映画はテクノロジー全盛の時代、CGだ3Dだといった作品ばかり話題になりますね。
 勿論新しい試みは私も大歓迎、でもやっぱり向き不向きありますね。こういう「君はありのままでいいんだ」「本当の自分を抑圧しているものと負けるな」みたいな話には、やはり生身の人間がその肉体で歌い、踊り、お芝居をする、それが一番伝わりますね。
 こういう映画がお茶の間に流れる事で、特に若い坊ちゃん嬢ちゃん、産まれた時からCG映画ばっかりだった人たちが、生身の人間の動きの素晴らしさ、そういった映画のよさ、それを見つけてくれると嬉しいですね。